父、太郎は、人の数が多すぎるという。つい百年前には、地球全体でも、1億人だったのが、やがてすぐに100億人にもなるという。地球が養える限界の人口に到達してしまうのだという。日本でも、毎年100万人の人が生まれ、100年間生きて、100万人の人が死ぬという。
父、太郎はさらに続けていう。昔は、母なる大地が人を育てた。やがて家庭が育て、そして国家が育てるようになった。今は、育てる人がいなくなったと嘆く。育てるのは強いものが育てるのだという。大地が強かった時代、父が強かった時代、国が強かった時代が、かつてはあった。けれど、今は混迷しているという。
父、太郎は続けていう。その昔は、神の社会だった。やがて、極一部の特権階級の社会になる。そして大衆の社会になる。大衆化した社会は、平均化し、画一化し、統制され、固定化する。固定化した社会のほうが、安定するから、多数向けの社会なのだ。多数向けだから、固定化するのかもしれないともいう。とにかく、固定化は、先が見えてしまう。先が見えてしまうことほど、面白くないことはないともいう。
父、太郎は、さらにさらに続けていう。でも、100年が目安であるという。過去のどんな国家も100年が一つの区切りで、まったく同じ体制では持たない。固定化の弊害が生まれるからだ。体制が持たないとき、古い時代には、王が取って代わった。他民族の支配におかれることもあった。王制から民主制へと国家の支配体制が変わった時代もあった。父は、今後、民意反映の仕組みを変えなければならない時代が来るだろうという。
父、太郎は、死に急ぐ人を嘆く。これからの100年は、血を流す革命ではなく、静かなる革命の時代になるという。そんな面白い時代に、生きていないでどうするんだと嘆く。今を面白く感じない人のほうが、変革について期待できる可能性を秘めているかもしれないのに、と嘆いている。
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