ここんところ山麓は騒がしい。
大津波に大地震、異常な殺人・死体遺棄がおきていて、もうそろそろお笑い芸人の芸もネタ切れだ、おもしろい番組も少なくなった、とつぶやいた。
そしたら、父、太郎は、物価の一斉上昇でも賃金が上がらないこと、賃金が上がらないけれどもとられる税金が上がること、形式的な制度と実際に起こっていることの乖離なんか変なことばかりだねと、難しいことを言いながら、でも賛成しているようだ。
このところ、図書館戦争がお気に入りだったけど。でも、シリーズ全て、読破した。次はないものかなと父に聞くと、
戦う前にまず戦いの意味を考え、目的についての有効な手段を選び、結果としてどうなるかを予測し、そのなかから、最善と思われる選択をし、確実に実行してゆく。でも、戦争するもまえに、いらない仕事をなくし仕事の質を高めること、生活の向上に必要なもの、組織を作ること、社会のバランスを良い方向にする制度を作ること、統合的な指揮命令のできることが必要だよなという。
んーん、これって、いったい何のことなんだ?
2008年5月25日日曜日
自己規定と統合的世界観へ
父、太郎は、世の中のことを良く知り、自分自身の中に、世の中がどのような世の中なのかを認識する必要があるという。
世の中は、競争の時代から協調の時代に移行しつつあるという。個人にしても、会社にしても、より良い生活なり、活動なりを求めるには、個別の存在が勝手な活動をすることは、全体としてみたら、不幸な方向に向かうという。
たしかに、個人的な権利は保障され、制約事項が薄れ、自由度が増した現代では、有る程度、わがままに振舞うことが出来るという。その一方で、人間関係、会社関係のつながりは、深くすることも出来るし希薄な関係をつくることもできるという二極化が生じた。
この二極化は、関係性が売るれることで、孤立的な存在に陥りやすいという危険性をもっている。一方では、協調性を重視するあまり、主体性を失いがちになるという危険性をもはらんでいる。
自由度の増加は、自分自身の存在を自分自身で規定するところから始めなくてはならないと、父は言う。
自分自身を自分で規定するためには、世の中のことを知り、本質を理解し、価値を見極め、全体的、統合的、普遍的に良い方向性を予見し、その方向に動くことだという。
世の中は、競争の時代から協調の時代に移行しつつあるという。個人にしても、会社にしても、より良い生活なり、活動なりを求めるには、個別の存在が勝手な活動をすることは、全体としてみたら、不幸な方向に向かうという。
たしかに、個人的な権利は保障され、制約事項が薄れ、自由度が増した現代では、有る程度、わがままに振舞うことが出来るという。その一方で、人間関係、会社関係のつながりは、深くすることも出来るし希薄な関係をつくることもできるという二極化が生じた。
この二極化は、関係性が売るれることで、孤立的な存在に陥りやすいという危険性をもっている。一方では、協調性を重視するあまり、主体性を失いがちになるという危険性をもはらんでいる。
自由度の増加は、自分自身の存在を自分自身で規定するところから始めなくてはならないと、父は言う。
自分自身を自分で規定するためには、世の中のことを知り、本質を理解し、価値を見極め、全体的、統合的、普遍的に良い方向性を予見し、その方向に動くことだという。
2008年5月24日土曜日
俗・欲望先生
こないだ、父、太郎が、井上喜久子という声優がいるという。神奈川県の出身だそうだ。永遠の17歳であるのだといっているのだという。父は、永遠の28歳などと言っているから、似ているのだろうか?
なんでも、俗・欲望先生にでているという。
それは、俗・絶望先生だろう!
でもって調べてみると、井上喜久子本人役で声優ででているのだという。声優って、アニメのキャラクターになって声を作って役に当たるのが普通だろうけど、この役なら地のままやれる!
父は、文章の世界にいるけど、言葉にすれば、また、違った世界になる。
言葉は、書く読むということと、話す聞く、それに、文字の記号として理解するしない、さらに音として理解するしない(言語としてではなく音として)という次元があると思う。
ひとつの言葉でも、どんなふうに話すか、発音するかで、まったく違う。心地よい言葉にもなるし、聞きたくない言葉にもなる。生理的なことかもしれないけれど、声の持つ魔力があると思う。悪魔が、西岡すみこのような、お笑い芸人の声で、のろいの言葉をかけても凄みがない。
なんでも、俗・欲望先生にでているという。
それは、俗・絶望先生だろう!
でもって調べてみると、井上喜久子本人役で声優ででているのだという。声優って、アニメのキャラクターになって声を作って役に当たるのが普通だろうけど、この役なら地のままやれる!
父は、文章の世界にいるけど、言葉にすれば、また、違った世界になる。
言葉は、書く読むということと、話す聞く、それに、文字の記号として理解するしない、さらに音として理解するしない(言語としてではなく音として)という次元があると思う。
ひとつの言葉でも、どんなふうに話すか、発音するかで、まったく違う。心地よい言葉にもなるし、聞きたくない言葉にもなる。生理的なことかもしれないけれど、声の持つ魔力があると思う。悪魔が、西岡すみこのような、お笑い芸人の声で、のろいの言葉をかけても凄みがない。
2008年5月18日日曜日
変わることと変わらないこと
父、太郎は、科学法則以外は変わるといった。
確かに、環境は変わる。ついこないだ、サイクロンや大地震が起きて、数万人とも言われる多くの人がなくなった。地形も変形した。急激な変化が起きた。それから、地球温暖化とも呼ばれるじわじわとした変化もある。
人も変わる。生まれて、成長し、衰退し、死んでゆく。人は、その考え方も、生まれた後で、変化する環境の中で生きることで、勉強し、変わってゆく。
父、太郎は、人が社会を作っていて、その社会を構成する人が変わってゆくのだから、人の代わりに合わせて、社会も変わるのが必然であるという。
確かに、科学技術の発達で、いろいろ便利なものができている。夏目漱石の時代には、携帯電話も、パソコンもなかった。逆に、今の時代に、夏目漱石はいない。
しかしながら、父、太郎は、物理の世界に慣性の法則というのがあるように、人の世界でも、慣習の法則があるという。人は、社会がいつも同じで、一定であることを前提として物事を考える癖がでるという。変わるか、変わらないかは、時間的な軸だけであるという。短期では一定でも、長期では変動する。ただ、物事によって、一定と見るか変動と見るかの時間が異なる。そして、人はついつい、人中心に考えてしまうので、変動しているのに変動していない、逆に、変動していないのに変動していると間違えることがしばしばある。世の中がおかしいのは、人の考えが間違っているのだという。
確かに、環境は変わる。ついこないだ、サイクロンや大地震が起きて、数万人とも言われる多くの人がなくなった。地形も変形した。急激な変化が起きた。それから、地球温暖化とも呼ばれるじわじわとした変化もある。
人も変わる。生まれて、成長し、衰退し、死んでゆく。人は、その考え方も、生まれた後で、変化する環境の中で生きることで、勉強し、変わってゆく。
父、太郎は、人が社会を作っていて、その社会を構成する人が変わってゆくのだから、人の代わりに合わせて、社会も変わるのが必然であるという。
確かに、科学技術の発達で、いろいろ便利なものができている。夏目漱石の時代には、携帯電話も、パソコンもなかった。逆に、今の時代に、夏目漱石はいない。
しかしながら、父、太郎は、物理の世界に慣性の法則というのがあるように、人の世界でも、慣習の法則があるという。人は、社会がいつも同じで、一定であることを前提として物事を考える癖がでるという。変わるか、変わらないかは、時間的な軸だけであるという。短期では一定でも、長期では変動する。ただ、物事によって、一定と見るか変動と見るかの時間が異なる。そして、人はついつい、人中心に考えてしまうので、変動しているのに変動していない、逆に、変動していないのに変動していると間違えることがしばしばある。世の中がおかしいのは、人の考えが間違っているのだという。
2008年5月17日土曜日
変わるものと変わらないもの
父、太郎曰く、この世界で変わらないと思われるものは、科学法則のみであるという。もっとも、この科学法則も、人間が知る範囲において変わらないというだけのものであるが、人間が知る部分において、変わらないのだから、まあ、変わらないと考えてよいのだろうと、あいまいな言いようをする。まあ、ともかく、科学法則は変わらないと断言する。
科学法則は、この世界の物質の動きの基本を説明したものであるが、動きの基本が分かったからといって、物質の動きの全ての状況が把握できた分部はない。なぜなら、人間は、ある一定条件における、この世界の全ての状況を把握できはしないからだ、ともいう。だから、この世界のことは、分からない。
さらに、人間は、この世の中を変える力を持ちつつあるといっても、たかが知れているという。人間がこの世界の極ごく一部のほんの少しのごみのような存在であるから、この世を変える力も、ごくごくわずかなほとんど力を及ぼしてもいないほどの力しか行使していないとも言う。
地球と言う小さな池の中の蛙に過ぎない存在である。大海を知らないことに変わりはないと言っている。
科学法則は、この世界の物質の動きの基本を説明したものであるが、動きの基本が分かったからといって、物質の動きの全ての状況が把握できた分部はない。なぜなら、人間は、ある一定条件における、この世界の全ての状況を把握できはしないからだ、ともいう。だから、この世界のことは、分からない。
さらに、人間は、この世の中を変える力を持ちつつあるといっても、たかが知れているという。人間がこの世界の極ごく一部のほんの少しのごみのような存在であるから、この世を変える力も、ごくごくわずかなほとんど力を及ぼしてもいないほどの力しか行使していないとも言う。
地球と言う小さな池の中の蛙に過ぎない存在である。大海を知らないことに変わりはないと言っている。
2008年5月11日日曜日
太郎の読書
父、太郎に、このところ読んだ本で、印象に残った本を聞いた見ました。父が最近に読んだというだけで、最近発売されたという本でもないようです。
バベルの謎 ヤハウィストの冒険 長谷川三千代
妊娠小説 斎藤美奈子
「社会調査」のウソ 科学的な社会調査の方法 谷岡一郎
人体 失敗の進化史 遠藤秀紀
不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか 高橋克徳
父曰く、最近は、小説よりも、この手の本のほうが面白いという。どの本も、人生を豊かにしてくれる要素を持っている。
そしれ、これらの書を俯瞰的に、総合的に、オーバーラップして眺めると、人間の本来もている悪いところ、人体だけではなく、組織も失敗の連続で進化してゆくのだろうし、小説もなにもかも、状況的に変化してゆくところがあるけれど、生き物であっても、組織であっても、小説であっても、本質的に、強く存在のために獲得する機能というものが優れたものが残ってゆくのだということを強く意識させられるという。
バベルの謎 ヤハウィストの冒険 長谷川三千代
妊娠小説 斎藤美奈子
「社会調査」のウソ 科学的な社会調査の方法 谷岡一郎
人体 失敗の進化史 遠藤秀紀
不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか 高橋克徳
父曰く、最近は、小説よりも、この手の本のほうが面白いという。どの本も、人生を豊かにしてくれる要素を持っている。
そしれ、これらの書を俯瞰的に、総合的に、オーバーラップして眺めると、人間の本来もている悪いところ、人体だけではなく、組織も失敗の連続で進化してゆくのだろうし、小説もなにもかも、状況的に変化してゆくところがあるけれど、生き物であっても、組織であっても、小説であっても、本質的に、強く存在のために獲得する機能というものが優れたものが残ってゆくのだということを強く意識させられるという。
2008年5月10日土曜日
「おかめ」と「ひょっとこ」と卑弥呼
「おかめ」と「ひょっとこ」という女と男がある。父、太郎曰く、この二人は神様だよなあ。何で?と尋ねた。
「ひょっとこ」は、「火男」がなまったものであろうという説があるという。「火男」は、火をおこす、つまり、蹈鞴、製鉄などにも関係するらしいが、むかし、火を扱うというのは、特殊だったらしく、王の名に見られるのだという。有名なところでは、海幸彦と山幸彦はそれぞれ、火照命、火遠理命、物部氏の祖は、天火明命、神武天皇は、火火出見命と、とにかく、「火」のつく名前が多く、これらみな、「火男」であるという。
そんなら、「おかめ」は、「亀?」なんて聞いてみた。
そしたら、動物の亀ではなく、瓶をおみする甕のほうだろうなあ、という。「甕」は、みかとも読むし、甕は泥を焼いてつくるだろう? 焼いて作るのだから、火男とも通じるよね。焼くと匂うだろう、だから香りにも通じる。おかめは、御香女、香具夜姫もそうだけど、いかがしこめ(伊香色謎)は、い・香の女だし、山下影姫は、山下の香の女、姪忍鹿姫は、姪忍の香の姫だし、古代の王妃の名前に、香女はたくさんいるんだ。
まあ、そんなわけで、父、太郎の頭の中では、「おかめ」と「ひょっとこ」は、「お香女」と「火男」なんだそうです。
そうそう、魏志倭人伝の卑弥呼と卑弥弓呼は、ともに、火見だろ。火をおこすといえば、蹈鞴、それで、蹈鞴の女といえば、神武天皇の王妃となった、富登多多良伊須須岐姫なんか、その名前も火にちなむ名前で、卑弥呼にぴったりの名前だ。
え! それじゃあ、その蹈鞴なんとかが、卑弥呼なの?
日本書紀には、倭跡跡日百襲姫なんていう名前の姫がいて、卑弥呼候補の姫だけど、「日」は「火」で、やはり、「火」でしょう。倭の火の全ての祖の姫という名前だし、卑弥呼でしょう。
本当でしょうか?
「ひょっとこ」は、「火男」がなまったものであろうという説があるという。「火男」は、火をおこす、つまり、蹈鞴、製鉄などにも関係するらしいが、むかし、火を扱うというのは、特殊だったらしく、王の名に見られるのだという。有名なところでは、海幸彦と山幸彦はそれぞれ、火照命、火遠理命、物部氏の祖は、天火明命、神武天皇は、火火出見命と、とにかく、「火」のつく名前が多く、これらみな、「火男」であるという。
そんなら、「おかめ」は、「亀?」なんて聞いてみた。
そしたら、動物の亀ではなく、瓶をおみする甕のほうだろうなあ、という。「甕」は、みかとも読むし、甕は泥を焼いてつくるだろう? 焼いて作るのだから、火男とも通じるよね。焼くと匂うだろう、だから香りにも通じる。おかめは、御香女、香具夜姫もそうだけど、いかがしこめ(伊香色謎)は、い・香の女だし、山下影姫は、山下の香の女、姪忍鹿姫は、姪忍の香の姫だし、古代の王妃の名前に、香女はたくさんいるんだ。
まあ、そんなわけで、父、太郎の頭の中では、「おかめ」と「ひょっとこ」は、「お香女」と「火男」なんだそうです。
そうそう、魏志倭人伝の卑弥呼と卑弥弓呼は、ともに、火見だろ。火をおこすといえば、蹈鞴、それで、蹈鞴の女といえば、神武天皇の王妃となった、富登多多良伊須須岐姫なんか、その名前も火にちなむ名前で、卑弥呼にぴったりの名前だ。
え! それじゃあ、その蹈鞴なんとかが、卑弥呼なの?
日本書紀には、倭跡跡日百襲姫なんていう名前の姫がいて、卑弥呼候補の姫だけど、「日」は「火」で、やはり、「火」でしょう。倭の火の全ての祖の姫という名前だし、卑弥呼でしょう。
本当でしょうか?
2008年5月6日火曜日
死に急ぐ人々への嘆き
父、太郎は、人の数が多すぎるという。つい百年前には、地球全体でも、1億人だったのが、やがてすぐに100億人にもなるという。地球が養える限界の人口に到達してしまうのだという。日本でも、毎年100万人の人が生まれ、100年間生きて、100万人の人が死ぬという。
父、太郎はさらに続けていう。昔は、母なる大地が人を育てた。やがて家庭が育て、そして国家が育てるようになった。今は、育てる人がいなくなったと嘆く。育てるのは強いものが育てるのだという。大地が強かった時代、父が強かった時代、国が強かった時代が、かつてはあった。けれど、今は混迷しているという。
父、太郎は続けていう。その昔は、神の社会だった。やがて、極一部の特権階級の社会になる。そして大衆の社会になる。大衆化した社会は、平均化し、画一化し、統制され、固定化する。固定化した社会のほうが、安定するから、多数向けの社会なのだ。多数向けだから、固定化するのかもしれないともいう。とにかく、固定化は、先が見えてしまう。先が見えてしまうことほど、面白くないことはないともいう。
父、太郎は、さらにさらに続けていう。でも、100年が目安であるという。過去のどんな国家も100年が一つの区切りで、まったく同じ体制では持たない。固定化の弊害が生まれるからだ。体制が持たないとき、古い時代には、王が取って代わった。他民族の支配におかれることもあった。王制から民主制へと国家の支配体制が変わった時代もあった。父は、今後、民意反映の仕組みを変えなければならない時代が来るだろうという。
父、太郎は、死に急ぐ人を嘆く。これからの100年は、血を流す革命ではなく、静かなる革命の時代になるという。そんな面白い時代に、生きていないでどうするんだと嘆く。今を面白く感じない人のほうが、変革について期待できる可能性を秘めているかもしれないのに、と嘆いている。
父、太郎はさらに続けていう。昔は、母なる大地が人を育てた。やがて家庭が育て、そして国家が育てるようになった。今は、育てる人がいなくなったと嘆く。育てるのは強いものが育てるのだという。大地が強かった時代、父が強かった時代、国が強かった時代が、かつてはあった。けれど、今は混迷しているという。
父、太郎は続けていう。その昔は、神の社会だった。やがて、極一部の特権階級の社会になる。そして大衆の社会になる。大衆化した社会は、平均化し、画一化し、統制され、固定化する。固定化した社会のほうが、安定するから、多数向けの社会なのだ。多数向けだから、固定化するのかもしれないともいう。とにかく、固定化は、先が見えてしまう。先が見えてしまうことほど、面白くないことはないともいう。
父、太郎は、さらにさらに続けていう。でも、100年が目安であるという。過去のどんな国家も100年が一つの区切りで、まったく同じ体制では持たない。固定化の弊害が生まれるからだ。体制が持たないとき、古い時代には、王が取って代わった。他民族の支配におかれることもあった。王制から民主制へと国家の支配体制が変わった時代もあった。父は、今後、民意反映の仕組みを変えなければならない時代が来るだろうという。
父、太郎は、死に急ぐ人を嘆く。これからの100年は、血を流す革命ではなく、静かなる革命の時代になるという。そんな面白い時代に、生きていないでどうするんだと嘆く。今を面白く感じない人のほうが、変革について期待できる可能性を秘めているかもしれないのに、と嘆いている。
2008年5月5日月曜日
消えたペットボトル
先日、祖母がスーパー買い物をしてきた後、お茶をしているときに、ぶつくさと文句を言った。
スーパーで買い物をしたのだが、店員が、買ったはずのペットボトルを入れ忘れているのだという。
祖母は、新型マーチで近くのスーパーに買い物に出かけ、いくつかの買い物をして帰ってきた。途中、どこか別のところによったことはなかった。買い物は、ペットボトル以外にも食料品などが中心で、ポリ袋に一杯、買った。
祖母が行ったスーパーには、美樹も、父と買い物に行くことが何回もある。けれども、これまで一度も、そんなことはなかった。商品は、店員さんが、バーコードで値段を読み取りながら、ポリ袋に入れてゆくので、入れなかったなんて事はまず起きないのだ。
この話を聞いた父は、どこかに消えたと思ったら、「これでしょ」といって、ペットボトルを見つけ出してきていた。
「どこにあったの?」と聞いたら、「車の助手席の下」と、ぼそっと言った。
父、太郎は、探し物の名人である。
スーパーで買い物をしたのだが、店員が、買ったはずのペットボトルを入れ忘れているのだという。
祖母は、新型マーチで近くのスーパーに買い物に出かけ、いくつかの買い物をして帰ってきた。途中、どこか別のところによったことはなかった。買い物は、ペットボトル以外にも食料品などが中心で、ポリ袋に一杯、買った。
祖母が行ったスーパーには、美樹も、父と買い物に行くことが何回もある。けれども、これまで一度も、そんなことはなかった。商品は、店員さんが、バーコードで値段を読み取りながら、ポリ袋に入れてゆくので、入れなかったなんて事はまず起きないのだ。
この話を聞いた父は、どこかに消えたと思ったら、「これでしょ」といって、ペットボトルを見つけ出してきていた。
「どこにあったの?」と聞いたら、「車の助手席の下」と、ぼそっと言った。
父、太郎は、探し物の名人である。
2008年5月4日日曜日
一つの方向性と方向転換における自由度の増加
ある一つの能力を秀でるには、他のことを犠牲にしなければならないというのが、父、太郎の持論である。
たとえば、アメーバは全方向に動けるが、その移動速度は遅い。生物は、360度の全方向に動くということよりも一定の方向のみであっても速く動けることを選択した。そのほうが、速く動けるのだから、優位に立つ。しかも、方向を変えるということと併用すれば、全方向に早く移動するということを獲得したことになる。けれど、一定方向のみに速く移動するという能力を確保したということは、それ以外の方向に移動する速度を捨てたということを意味する。けれども、方向を変えるという別の手段と併用することで、いったん捨てた能力を取り戻したともいうことも出来る。このことは、一定時間という区切りの中で、移動速度内のどこかの位置であれば、そこに存在することが出来ることを意味する。その範囲が広くなればなるほど、自由度が増したと考えることが出来る。すなわち、自由度が増した分、仮想的な空間的な存在量が増えたと言い換えることが出来る。
人間も人生において、幾つもの選択を行い、一つの人生を選択する。いわゆる専門分野を持つ。けれども、その分野において秀でた能力を獲得するということと共に、その能力を別の分野に応用するという方向を変える能力をもつことで、人生という広い空間の自由度を増すことが出来る。専門に秀でるということは、その分野に詳しいということであるが、その分野の本質を理解するということである。この本質を理解するということの能力さえ身に付ければ、方向性を変えるということは、専門でない分野においても、本質的を理解できる能力を得たことになり、その分野の情報さえ与えられれば、思考することが出来るということになる。
これは、父が、常々言っていることである。
たとえば、アメーバは全方向に動けるが、その移動速度は遅い。生物は、360度の全方向に動くということよりも一定の方向のみであっても速く動けることを選択した。そのほうが、速く動けるのだから、優位に立つ。しかも、方向を変えるということと併用すれば、全方向に早く移動するということを獲得したことになる。けれど、一定方向のみに速く移動するという能力を確保したということは、それ以外の方向に移動する速度を捨てたということを意味する。けれども、方向を変えるという別の手段と併用することで、いったん捨てた能力を取り戻したともいうことも出来る。このことは、一定時間という区切りの中で、移動速度内のどこかの位置であれば、そこに存在することが出来ることを意味する。その範囲が広くなればなるほど、自由度が増したと考えることが出来る。すなわち、自由度が増した分、仮想的な空間的な存在量が増えたと言い換えることが出来る。
人間も人生において、幾つもの選択を行い、一つの人生を選択する。いわゆる専門分野を持つ。けれども、その分野において秀でた能力を獲得するということと共に、その能力を別の分野に応用するという方向を変える能力をもつことで、人生という広い空間の自由度を増すことが出来る。専門に秀でるということは、その分野に詳しいということであるが、その分野の本質を理解するということである。この本質を理解するということの能力さえ身に付ければ、方向性を変えるということは、専門でない分野においても、本質的を理解できる能力を得たことになり、その分野の情報さえ与えられれば、思考することが出来るということになる。
これは、父が、常々言っていることである。
2008年5月3日土曜日
攻撃スタイル
山荘のももは、父、太郎と、ときとして戦う。
まあ、小さいながら、善戦していると思う。
父は、ときどき、ももに、ちょっかいを出すのだ。まあ、ようは、暇なのだ。ももも、よく戦うのだが、不利な条件での戦いになる。
まず、体力差がある。50kgも体重に差があるし、身長も、150cmくらいの差だから、圧倒的に不利だ。それにリーチの差も30cmくらいは劣る。
次に、頭にも差がある。父は、タオルを使ったり、噛まれても痛くないように、厚手の靴下や着物をきることで防御しているが、ももは、猫であるから、基本的に裸で、無防備である。
そこで、ももも、頭を使う。まず、自分しか入れないような、ベッドの下とか、カーテンの陰とかに隠れ、そこから、攻撃を仕掛けるのだ。しかも、居場所を変えながらの攻撃である。
それから、得意な技は、ももが隠れてしまったので、攻撃できない父が、ももから遠ざかる、その逃げる相手に、後ろから噛み付くという攻撃である。
正攻法では、不利なももならではの姑息な攻撃ではあるが、いたし方あるまい。
というわけで、二人の戦いは、勝負がつくことはなく、、雨の日などは、二人、いや一人と一匹の攻防が続くのである。
まあ、小さいながら、善戦していると思う。
父は、ときどき、ももに、ちょっかいを出すのだ。まあ、ようは、暇なのだ。ももも、よく戦うのだが、不利な条件での戦いになる。
まず、体力差がある。50kgも体重に差があるし、身長も、150cmくらいの差だから、圧倒的に不利だ。それにリーチの差も30cmくらいは劣る。
次に、頭にも差がある。父は、タオルを使ったり、噛まれても痛くないように、厚手の靴下や着物をきることで防御しているが、ももは、猫であるから、基本的に裸で、無防備である。
そこで、ももも、頭を使う。まず、自分しか入れないような、ベッドの下とか、カーテンの陰とかに隠れ、そこから、攻撃を仕掛けるのだ。しかも、居場所を変えながらの攻撃である。
それから、得意な技は、ももが隠れてしまったので、攻撃できない父が、ももから遠ざかる、その逃げる相手に、後ろから噛み付くという攻撃である。
正攻法では、不利なももならではの姑息な攻撃ではあるが、いたし方あるまい。
というわけで、二人の戦いは、勝負がつくことはなく、、雨の日などは、二人、いや一人と一匹の攻防が続くのである。
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