父、太郎曰く、この社会で生きているのならば、必ず、この社会を構成している人としての役割を負うという。役割を負うことで、この社会の中で生きる権利があるのだという。
昔は、この社会の規律に反逆する、抵抗する人が罪を犯している人と言う概念であった。いわゆる犯罪者である。
最近は、与えられた役割に対して、その役割を負わないこと自体が、悪いこと、あるいは犯罪であるという。
その典型的なことは、役人が、社会に対して貢献することの役割を負うべきなのに、自己の存在を構成する人の利益を求めることで、社会に対して、むしろ不利益をもたらしていることがあげられるという。それは不正流用などの犯罪のレベルではなく、問題がある、または問題が生じるとわかっていながら、無駄な仕事を生むことや、対策を講じないことも含まれる。
そして、もっとも問題なことは、その悪いことは、決定的に悪いにもかかわらず、その当事者が、裁かれず、また、結果に関しての反省もせず、むしろ、悪いのは社会の仕組みなどの不可抗力的な言い訳がまかり通り、結果的に、不利益を生じたことのみが残ってしまうという、そのことであるという。
父、太郎曰く、日本の社会がだめな体質は、このさらに、もっと、だめな体質を蔓延させるという。
その結果、正しいことが正しく行われない社会になる。このことがもっとも恐ろしいことである。
0 件のコメント:
コメントを投稿