100年位前は、地球の人口は数億人だった。それが、100年で10倍である。人の行為が、100年前と同じであったとしても、計算上、10倍の行為がなされることになる。人のエネルギー消費量が、100年前の10倍になっていたら、100倍のエネルギーが消費される計算になる。
見方を変えれば、100年前の100倍のスピードで、量的な消費がなされていることになる。
一方、質的に、100倍の進歩があるのだろうか。膨張する人の数に、社会の質が追いついているのだろうか。
逆に人一人が依存する地球環境はという観点からは、人が占める割合は、1/100になっているのだから、人の重要性も、1/100になっているという見方も出来る。
だから、数だけのことを考えれば、本当のことを言えば、人一人が死んでも、人類にとってはどうということはないのだ。ただ、他人との関係性があるから、もしくは、人類という集団の中で重要な機能を負わされている位置にいる、ということでもなければ、取るに足りない存在なのだ。
それは、人の心臓や脳にあたるのか、髪の毛や爪に該当するかで、役割が違うことと似てはいないだろうか。
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