父、太郎は、歳を取ることは、この世の中のことを知ることであるという。
学校で覚えることは基本的なこと概念的なことが多い。人間関係にしても、数十人規模であり、地域的類似性、学力的類似性という似通った要素を持つ人の人間関係に基づく。
けれども、社会は、複雑系の応用問題であるという。
基本的な考え方が、社会のあちこちで使われているし、人間関係の形成も構成要員が多く、その関係性も複雑である。
そして、社会が、学校と異なるのは、決して理想的なものを目指しているというわけではないということであるという。場合によっては、間違ったことがまかり通っていることがあるという。
それは、構成要員である人が、間違った考えを持っている人で構成されれば、その社会的部分が間違ったことがまかり通る仕組みを形成することがあるという。
だから、社会で生きてゆくうえでは、絶えず、その仕組み、その人をみて、その状況と考え方の基本を理解し、その人や社会が良いか悪いかを見極めてゆかなければならないという。
頭の良い人でさえ、だまされることは、この社会では、いくらでもでもあるという。それほど、巧妙に悪い部分は隠されていることがあるという。だれでも、悪いという部分は隠したがるものだし、隠されてしまうのが社会なのだという。
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