2008年9月28日日曜日

最近読んだ本

 最近読んだ本のベスト3を書こうかな。
 一つ目は、『のぼうの城』、和田竜さんとうい人のもの。丹波も和泉も靭負もいいけど、甲斐姫がかっこいいね。それにひきかえ、「のぼうよ、しっかりせい」と、どつきたくなるぞ。
 二つ目は、『レインツリーの国』、有川浩さんのものですが、この本では自衛隊は登場しません。伸は、ちょっと理屈っぽいけれど、誠実だなと思います。それに引き換え、ひとみさんは頑固だなと思います。
 三つ目は、『容疑者Xの献身』、東野圭吾さんのガリレオものです。TVシリーズでは、変人ガリレオを福山雅治さんが演じていましたけど、こんど、この本が、映画になるようですから、見に行きたいと思っています。本では、女刑事は登場しないんですね。
 なんだか、全然統一感のない3本になってしまいましたけど、おもしろかったんだからしかたないか。

2008年9月27日土曜日

知っていることと、知っていると同じこと

 このところ、父、四季が岳太郎の帰りが遅い。休祝日も、部屋にこもって、なにやら、机に向かっている。今度の大学で使用する講義の資料を作成しているようだ。
 本業の仕事のほうも、なんだか、立場が上がったようで、このところ忙しそうである。
 父、太郎の仕事は、難しい。
 「分析」の相談にのる営業をしているのだそうな。それで、分析のことを全てわかっているのかと聞くと、全てのことがわかるわかっているわけではないという。でも、提供できる分析は、所属している分析の会社の出来ることを提供するだけだから、自分が知らないことなら、誰ができるのかということを知っていて、その人に聞けば良いのだという。そして、聞くために、どのような情報を知り、教えれば答えが得られるかを知っていれば良いのだという。
 世の中の多くのことも、全てを知ることなんて出来ないけれど、必要なことがわかる手立てを持っていることについては、知っていることとどう意義の意味を持つのだという。
 

2008年9月23日火曜日

33分探偵の名言

 土曜日の深夜には、33分探偵がいる。この男、鞍馬六郎は、すでに、始まりから5分くらいで犯人が自首するような単純な事件を33分、推理するのだ。

 痩せたまぐろなら刺さるよねえ!

 この言葉が一番印象的である。とにかく、根拠のない推理を構築するのである。もっとも、父、四季が岳太郎、曰く、わかりきったことから、妥当性ある推理を展開することは、誰にでも出来ることであるという。少しの手がかりから、自由な発想で、いろんなことを考えることは、とても重要である。鞍馬六郎の推理は、現実的可能性がほとんどないような推理を組み立てるが、「痩せたマグロなら凶器になる」という発想、その自由な感覚が、現代人に足りないところなのだろう。

 それにしても、本当に、「痩せたまぐろなら刺さるのだろうか?」
 もちろん、人の体にである。

2008年9月21日日曜日

ポリビニールとこちょこちょ

 平日の朝、父、太郎は、5時半ごろに朝食を食べるのだ。すると、もももおきて来て、一緒に食事する。
 食事のあとは、新聞紙を入れるためにおいてあるビニール袋の近くで、行儀良く座っている。
 父、太郎は、簡単な食事を済ませると、もものところにゆく、体をなでてあげる。するとももは、ビニール袋に頭をこすりつけながら、うれしそうに、ごろごろする。
 首とか頭とか、とにかく体中をなでられるのだが、好きなようだ。
 平日は、毎日のように、父の食事にあわせて、この習慣が続いているのだ。もっとも、出かける都合で、1,2分のことも、5,6分のこともある。
 とにっかく、ももにとっては、気持ちよい時間のようである。
 でも、休日には、父は、昼ごろまで寝ているから、ももも、それを知ってか、所持だけさっさと済ませて、寝ている。

2008年9月20日土曜日

悪い部分は隠されている

 父、太郎は、歳を取ることは、この世の中のことを知ることであるという。
 学校で覚えることは基本的なこと概念的なことが多い。人間関係にしても、数十人規模であり、地域的類似性、学力的類似性という似通った要素を持つ人の人間関係に基づく。
 けれども、社会は、複雑系の応用問題であるという。
 基本的な考え方が、社会のあちこちで使われているし、人間関係の形成も構成要員が多く、その関係性も複雑である。
 そして、社会が、学校と異なるのは、決して理想的なものを目指しているというわけではないということであるという。場合によっては、間違ったことがまかり通っていることがあるという。
 それは、構成要員である人が、間違った考えを持っている人で構成されれば、その社会的部分が間違ったことがまかり通る仕組みを形成することがあるという。
 だから、社会で生きてゆくうえでは、絶えず、その仕組み、その人をみて、その状況と考え方の基本を理解し、その人や社会が良いか悪いかを見極めてゆかなければならないという。
 頭の良い人でさえ、だまされることは、この社会では、いくらでもでもあるという。それほど、巧妙に悪い部分は隠されていることがあるという。だれでも、悪いという部分は隠したがるものだし、隠されてしまうのが社会なのだという。
 

2008年9月15日月曜日

四季が岳美樹の冒険2

 四季が岳太郎の最新作、『四季が岳美樹の冒険』はフィクションである。
 あそこに書かれていることは事実ではない。
 しかも、美樹は、あんなに頭も良くない。でも、よく、あれだけの作り話を考えるものである。これだから、大人は油断ならない。
 美樹は、幾つ物事件を解決したことになっているが、もちろん、現実にそんなことはありえない。ましてや、殺人事件の結末など、小学生が考え付くようなことではないだろう。
 でも、かといって、四季が岳太郎が実際に解決したもの物でもない。
 ただ、父、太郎は、美樹が小学生の頃、美樹を主人公にした探偵物語を、子守唄代わりと言うわけでもないが、話してくれて、だけど、その物語は、いつも、結末を聞かずに終わったという記憶がある。
 あの頃に、聞いた話は、ここに紹介されているお話だったようにも思うし、少し違っていたようにも思う。でも、ここに紹介されているお話だったのだろう。父、太郎が、思い出を語っているのだというのだから。

2008年9月14日日曜日

四季が岳美樹の冒険

 父、四季が岳太郎は、ミステリー好きである。テレビで、一緒にミステリー物をみたりすると、犯人を当てることが良くある。
 ホームズ君やコロンボ君や古畑君などの映画をよく見ている。
 本は、最近でこそ、あまり読んでいないようだが、昔はよく読んでいた。
 「四季が岳美樹の冒険」は、10年ほどまえに原型が作られていた。
 父、四季が岳太郎は、科学、それも分析化学が専門ではあるが、趣味として、ミステリーから、歴史や古典、文学、現代社会などのことに興味が移り、著作も、現代社会のこと以外のことを発表してきたいる。ミステリーから遠ざかっていたのだ。
 でも、太郎の作品は、殺人事件ではないにしても、歴史や文学について考察するのにおいて、推理することが満ち溢れている。
 手法という点からすれば、推理である。
 父、太郎曰く、思いつくことが一番大切なことで、その思い付きを実証することというのは、方法さえ知っていれば、自然と生まれてくることなのだという。
 思いつくことは、方法を知ってさえいれば、ある分野のことを長く深く考えれば、そのことも、自然と生まれてくるという。
 要は、考えるということが好きなのである。

2008年9月13日土曜日

老人との境目

 先日、父、四季が岳太郎は、電車に乗り込んだら、サラリーマン風の人から席をゆづられる申し出を受けたのだそうな。
 それはつまり、少なくとも、60歳くらいだろうか、老人に見られたということである。
(父はまだ、実際のところ、まだ、40歳台である)
 父は、申し出に対しては断ったのだそうな。
 素直に席をゆづられておけばよかったのではないだろうか。
 ここで、断言しておくが、見た目、確かに、若くなんてない。髪も真っ白で、顔は、老けていて、行動は、生気がなかったに違いない。
 いつかは、世間からいたわりを受けるほどの年齢になるのだし、見た目には、お年寄りに燃えるのだし、世間からいたわりを受けても、よいのじゃないか。
 まあ、いたわりうけて、長生きしなさい。

2008年9月7日日曜日

首相が辞めた

 自分の力では出来ないことがある。どのようにしたら良いか具体的に考えられなくなるときがある。自分自身に限界を感じることがある。自分自身がそのことをすることが嫌になる。自分自身がそのことに携わりたくない。自分よりも適任者がいると思うことがある。適任者のほうがうまくやるだろうと思い込む。自分自身がもう嫌になる。認めたところですでに、他の人に代わるべきなのは間違いない。
 たぶん、出発点が間違っていたのだ。出来ると見込んでいたが、自分の能力が、立場に要求される能力を満たしていないという事実認識ができていなかったのだ。見込みで動かざるを得ないことがある。物事は、確実に出来ることばかりを推定していても始まらない。だから、わからないことに挑戦することにもなる。人は、自分自身を新たな環境におくことによって、能力開発してゆく。
 おそらく、しておくべきことは、自分の代わりになるべき人を育てておくことだ。挑戦に失敗しても、失敗が失敗で終わらずに、次に、成功に導けるように、次を用意しておくことだ。人間社会は、集団で動いているのであり、人はいつか死ぬ。だから、誰かの代わりを誰かが行わざるを得ない。社会では、連続性を保持するという行為をしておくべきだ。人が変われば、人が変わった分、確実に変わる。変化に準備しておくことは、大切なことである。先を読むということは、準備しておくということである。
 昨年の首相の自主辞任につづいて、また、首相の自主辞任を見ていた父、四季が岳太郎がつぶやいていた。
 先が読めれば一人前だよ、美樹。
 

2008年9月6日土曜日

少しずつ変わってゆくとわからないことがある

 卒業写真を眺めるとその当時の自分がいるし友だちがいる。
 毎日のように会っている友だちは、いつもと変わらない友だちだと思っている。実際、変わっているように見えるときは、髪形を変えたとか服装を変えたとか、そんなことばかりで、逆に言えば、他は変わっていないと思っている。
 でも、卒業写真を見ると良く分かる。
 人は変わっているのだ。
 ただ、ほんの少しずつ変わっているのだと、気付かないのだ。
 世界一受けたい授業の茂木健一郎さんの「アハ体験」の写真も、少しずつ変わってゆく写真画像をみているのだけれども、少しずつ変わるのだからわからない。
 でも、最後に、変わった前後で写真を比較させられ、こんなに変わったのかと言うことを突きつけられる。
 日本の社会も少しずつ変わっているだろう。でも、変わっていることがわからない。そして、ある日、気付かされるのだ。こんなにも変わってしまったら、どうしようもないのではないかと言うことを。