2008年8月3日日曜日

汝、殺すなかれ2

 父、四季が岳太郎がいう。
 自分を不当に高く評価することや他者を不当に貶めることは、それ自体が、不正の源である。
 もちろん、何事にも許容範囲がある。許容できる範囲とは、あいまいな表現で別の解釈の余地を残すものである。
 その余地を残さないのは、許容外である。
 もし、存在と言うことについて、許容範囲内と許容外を区切るならば、殺人を犯し、他者の生存を抹消することは、許容外ということに当たるだろう。
 しかも、許容外と言う以上に、存在否定である。
 人間は、人間関係で、他者との関係を成り立たせている。そのあり方を否定するのなら、自己否定か、他者否定か、関係性否定の三つのどれかの否定である。
 関係性否定が出来る状況であれば、関係性を否定すればよい。
 このところの、他者への殺傷事件は、関係性のない人への殺傷であり、それ自体は、己の行為の規定にかかわる問題である。
 自己の行為責任に関して、他者の存在という関係で、自己の行為を規定できない存在は、社会性という点で、自己規律できていない存在である。
 夏の暑い日、ますます、暑くなることをいう、父であった。

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