2008年4月27日日曜日

本質であれ

 太郎の口癖に、物事の本質を見極め本質であろうとすることが大切であるという言葉がある。
 石は石であること。猫は猫であること。人間は人間であることが本質なのだという。
 石は、自然に石だけど、たとえば、人間が絵を施すことで、それは、人間にとって、石ではなく絵になってしまう。でも、本質は、認識する柄が描いていある石であるということで、石であるということが本質なのだという。
 猫は、猫であり、どうあがいても、人間にはならない。猫らしい猫であるほど、立派な猫なのだという。猫らしい猫とは、人間が思う、かわいらしい猫ということではなく、猫と言う存在のなかで、猫が理想とする存在の猫に近い猫が、猫らしい猫なのだという。
 そして、人間である。人間が人間らしい人間になることが人間としての人間らしい生き方であると父は言う。
 そして、人間らしいことをいうことを自分なりに見つけることが人間らしい着方なのだという。
 だって、人間は、何も知らないところから、いろいろなことを経験し、経験したことを認識し、その認識の蓄積をもとに、自分の行動をきめてゆく。この世の中のことを認識することから、自分の行動を決めるという行為そのものが人間らしいことなのだというのだ。
 で、何をしたらいいの? と聞くと、それを、自分で考え、決めることが大切なのだという。
 ねえ、本当に大切なことを知っていっているの?

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