2008年4月19日土曜日

四季が岳太郎の奇妙な書

 今日は、父、太郎の著作を紹介しよう。といっても、実は、一冊も読んでいないので、父から聞いた断片的な情報をまとめたものに過ぎないのだけれど・・・。父は、既に、13冊もの本を書いている。

 四季が岳太郎の著作一覧

 天津日継制による古代倭国統一場理論
 和歌極秘伝による万葉言霊歌遊戯理論
 歴史ミステリーのみる万葉言霊歌解析
 隠和歌詠みによる源氏物語の真相解析
 古代倭国統一場理論 卑弥呼の時空
 隠俳諧詠みによる奥の細道の真髄解析
 言葉遊びで綴る倭歌二千年の歩み
 言葉遊びの歌詠み処方箋奥の細道
 漱石、龍之介、賢治、乱歩、そして謎解き
 我が愛しのアイリーン
 星の少年の詩的哲学
 僕と鼠と羊の物語
 名無し探偵の憂鬱な日々

 こんなタイトル、見るだけでも、難しそうだし、ぱらぱらとめくると、やはり難しそうで、読むのを止めた。でも、それでは紹介にならないし、紹介すれば、ちょっとは売れるかもしれないので、紹介しよう。

 古代倭国統一場理論は、父曰く、画期的な解釈だという。古代の神々、つまり、王家の記録、それは、神話の形での伝承なのだけれど、大きな間違いがあるんだって。その間違いは、本来、一つの王家のことなのに、登場する神の名前や王の名前がまったく別の名前で書いてしまっているために、別の神話に見えるだけに過ぎないということだそうなんだ。なんでも、天照大神の王家のことと、神武天皇(はじめての天皇だって)の王家とは、同じなんだって。実は、同じ事を、海幸彦の一族が記録したものと、山幸彦の一族が記録したものなのに、間違えているんだって。信じられる? 父曰く、昔の偉い人は、幾つもの名前で呼ばれていたし、その名前も、伝承のうちに変化してしまったんだって。
 万葉言霊歌理論は、和歌の中に潜む別の言葉は、神の言葉であると昔の人は信じたということが基本だって。たしかに、ある言葉の中に、たまたま、別の言葉を見つけることってあるよね。でも、それが神のなせる業と、昔の人は信じていたんだって。二とが意識せずに発した言葉は神の声であるらしい。言霊の正体だという。
 それが、やがて、人が意識的に、和歌の技法として作り上げたことで、言葉遊びになっていったんだって。言葉に二重三重の意味を持たせるということで、言葉に重みを持たせることが高度な言葉の使い方で、源氏物語の短歌や奥の細道の俳句には、ふんだんにその技法が使われているということらしい。
 詩や歌や句に、いろいろな遊びを施す技術は、古代から延々と続いていて、やがて、物語としても使用されることになるという。父は、その表とは異なる隠れた部分こそが、物語の重要な部分であることがあるのだという。しかも、その重要な部分がいまだに語られないままのことが多いのだという。解釈は一つではないかもしれないが、一つの解釈を施してみたものが、「倭歌二千年の歩み」や、「そして謎解き」であるらしい。
 物語をどのように読み解くか、人の成長や生き方という観点から、物語を見直したのが、「名無し探偵」と「星の少年」であるのだという。さらに、物語の解釈に遊びの要素を加えて、新たな物語を作ってみたものが、「アイリーン」と「僕と鼠と羊」なのらしい。
 太郎曰く、歴史や古典や和歌や文学やミステリーと対象としているものはいろいろだけれど、考え方はそんなに違わない。ということらしい。
 今日は、難しくて、よく分からないことを書きすぎたので、疲れた・・・。

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