父、四季が岳太郎曰く、人の生活が経済活動を決める。それが基本である。人の生活以上の経済を求めれば、ゆがみが生じ、どこかにしわ寄せが生まれる。そのしわ寄せは、地域格差になるかもしれないし、世代間格差になるかもしれない。
人の生活は、人の物事を進める速度に依存する。人の速度は、人間が生み出してきた物の速度に比べ遅いものである。逆に、人間は、人間が行い得ない速度を手に入れるために、さまざまなものを生み出してきたとも言うことができる。徒歩よりも、自転車、自転車よりも自動車、自動車よりも列車、列車の中でも新幹線、と、速度は増している。その速度は、人間が行いえる速度をはるかに凌いでいる。
たとえば、家電製品にしても、掃除機、冷蔵庫、それらのものだって、機能を速度に置き換えることが出来る。たとえば、物を冷やすには、氷を取ってこなければならないけれど、寒いところから氷を取ってきて物を冷やすのに、たとえば、数日の時間がかかるのに比べ、冷蔵庫があれば、すぐに物を冷やせる。物を冷やす速度と言う点では、冷蔵庫の方が圧倒的に速い。
情報収集にしても、図書館に行き調べることを考えたら、インターネット検索は圧倒的に速度が速い。
さて、速度が速くなるということは、物事の本質として何を意味しているだろう。最初があり、すぐに結果が来るということだから、途中の過程が、想定的に短くなることになる。人の人生は、生まれてから死ぬまで、その期間はほぼ百年である。人間にとって重要なのは、百年の過程である。ところが、物の世界では、過程を縮小し、結果の連続を積み重ねる方向に動いている。人間が物の速度に追いつけていない結果、何が生じるかといえば、考えずに行動せざるを得ない、もしくは、人の考えの速度の速いほうが物の速度に近づくので、速度の速い人間ほど有利な世界が形成される。速ければよいという物の特性に、人間が引きずられ、優劣が生じる世界になってしまうのだ。
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