風鈴の音、竹の笹のざわめき、小川のせせらぎの音、夕日の沈む色の変化。それらの、音や色などは、速さに由来する。自然の速さは、大部分、心地よい。
人の生きる速度は、自然と同じ速度であるほうが心地よいだろう。もともと、自然の中から生まれてきたのだから。
生物的には、十分に納得できることではある。
父、四季が岳太郎は、心地よい速度は、自然の速度であるという。でも、その速度を逸脱した暮らしをすることで、かえって、自然の速度が懐かしくなるという。
この地域でも、父が子供の頃の風景が失われた地域と残っている地域があるという。たぶん、程よい組み合わせのバランスをとることが重要なのだという。
バランスを取るためには、有る程度、物の速さにも、対応できる速度を有することも必要で、それだけの能力開発の必要に迫られてもしまう。すなわち、考え方、思考を高度なものにしておくということが重要だという。
反射的に、答えられるという世界を作っておくためには、その場で考えるのではなく、あらかじめ考えておき、用意してある答えを引き出せばよいという状態を作っておく準備が、高速に対応するための行き方であるという。
でも、これから、幼い頃から、人工的な構築物の中で生きていく人にとって、快適な速度と言うのは、人工的な速度の中でも、違和感が小さくなるのだろうか。
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