2008年6月8日日曜日

人間活動と地球崩壊

 父、太郎が言う。
 社会構造が、いま、歴史の流れに逆行しているという。
 大昔、国は、ほんの一握りの王族が支配していた。神からの血筋と言う名分のもとの支配だった。王族は増殖し、各地にその地の王を打ちたて、支配した。けれど、各地に有力な実力者が現れるにいたり、王の血統のみの支配には破綻が生じ、武力に勝る者が取って代わった。ここに、王家以外の者の支配が始まる。武力の戦いでは強いものが勝つ。やがて、王家は別の武力勢力に負け、別の支配者が生まれる。血筋ではなく力が支配力の源になる。力を増大させるには、国力を強める必要がある。国力を強めることで、民衆が力を持つ。経済力を持ったものが強くなるのだ。経済支配は、民衆の力を増大させ、民主主義を生む。経済成長は、生産性、技術力などの知的な水準によって生み出される。
 この流れは、力は一極集中から分散される方向を示す。一部の権力者の支配から、多くの人々の協議的支配への方向性を示す。血筋、武力、経済、技術力と、実態支配の方向性を示す。
 ところが、ここに来て、社会は、大衆の力が弱まり、一部の優位者の社会になりつつある。経済性の強まり、技術性の強まりが、中枢機能強化へとつながり、社会の中枢のみが支配力をもつ構造に移行しつつあるのだ。しかも、優位者優位の構造が強まっている。優位者が優位者の強みを押し出しすぎているのだ。しかも、優位者は、その優位者優位を隠蔽するために、実態と虚構を生み出し、実態とは異なる、部分に作用しているという。すなわち、生産と消費という実体経済ではなく、その裏の関係にある貸付と貸し出しという金融経済で支配しているという。
 もっとも、父、太郎は言う。
 このままでは地球が持たない。
 実体経済は、物質変化とエネルギー変換という科学世界というもう一つの循環と繋がっている。実体経済の活動は科学世界、すなわち、この地球環境の変化を生み出すという。だかた、金融経済の虚構は、一方で、地球と言う限定された閉鎖環境の中では、平衡のずれを生み、やがては平衡崩壊し、環境が持たなくなる。この生存の場自体が崩壊してしまうなら、支配力に意味もなくなる。だから、環境崩壊になることを選択するか、自己規制をすることを選択するか、どちらかを選ぶことになるだろうという。
 ようは、人間の欲望がこの世界を壊しつつあるのだという。自分のことばかりではなく、他者を、自然を、地球全体を守ることを意図し、全てが共存することを目的に、制度や行為をしなければいけない段階にあるという。

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