美樹、気を抜くなよ、と父、太郎がいうので、
ひげ、毛を抜くなよ、と父、太郎にいい、イエイと親指を立てたら
イエイ、と親指を立てて、
もも、いくら抜けても大丈夫だからいいよな、と猫にいいながら、頭ですりすりして、去っていった。
ももは、手を出すと手を出すのだが、父、太郎が、頭ですりすりしても、手を出さない。すりすりされたところをなめるくらいである。
なぜ、なめるのかは分からないが、父、太郎は、爪の垢をせんじて飲むのならず、髪の毛のすりすりをなめたほうが、頭が良くなる、良くなる、と訳の分からないことを言いながら去ってゆく。
他にも、とっぴに、踊りだしたり、奇妙なことを言い出したりするので、一緒に、外出するときには、要注意である。
年を取ると、羞恥心と言うものがなくなるのだろうか。
2008年6月29日日曜日
2008年6月28日土曜日
ハランの花
今年は、ハランに花が咲いた。
ハランは、蘭の一種であることが、花を見ると実感させられる。
庭のハランは、2株ある。ひとつは、くすんだ緑色の株、もう一つは、白線の入った薄い緑色の株だ。二株とも、父が10年前くらいに植えたものらしい。葉の丈は人の背丈ほどに伸びている。
このうち、白線の入った薄緑のほうのハランに2本、花芽が伸びた。花芽のほうが葉よりも高く伸びていて、2mほどもあるだろうか。2本とも、薄紫色で、じぐざくと曲がりながら伸びていて、かどかどから5本から10本の花が密集している軸が伸びている。
軸の先の花は、くすんだ赤色で、蕾上の長細いその赤の先は、黄色いめしべが数本のびている。
じぐざぐ状に10本て、それぞれに、5~10本の花がついていて、それが2本だから、100~200個も花がついた計算になる。これまで10年、一度も咲かずにきたことを思えば、計算してみると、0から100以上の花がつくという劇的な変化だというのを実感する。
ハランは、蘭の一種であることが、花を見ると実感させられる。
庭のハランは、2株ある。ひとつは、くすんだ緑色の株、もう一つは、白線の入った薄い緑色の株だ。二株とも、父が10年前くらいに植えたものらしい。葉の丈は人の背丈ほどに伸びている。
このうち、白線の入った薄緑のほうのハランに2本、花芽が伸びた。花芽のほうが葉よりも高く伸びていて、2mほどもあるだろうか。2本とも、薄紫色で、じぐざくと曲がりながら伸びていて、かどかどから5本から10本の花が密集している軸が伸びている。
軸の先の花は、くすんだ赤色で、蕾上の長細いその赤の先は、黄色いめしべが数本のびている。
じぐざぐ状に10本て、それぞれに、5~10本の花がついていて、それが2本だから、100~200個も花がついた計算になる。これまで10年、一度も咲かずにきたことを思えば、計算してみると、0から100以上の花がつくという劇的な変化だというのを実感する。
2008年6月22日日曜日
本格推理 物語が変わるとき、終焉と創生
こんどの、父の、作品は、「本格推理 物語が変わるとき、終焉と創生」というタイトルである。
表紙のカバーは、有名な本格ミステリー作家のイラストで飾られている。どの絵も、よく描けていている。みていて、とても楽しいし、良い雰囲気である。手に持っているものや、壁の絵にも注目してね。順不同だな。
実際に、これだけの人が一同に会したことは、歴史上、ない。でも、もし、これだけの人々が一同に顔を合わせたなら、どんな会話がなされたことだろう。
父に聞くと、作中作みたいなものでもあり、本格推理についての、エッセイや評論風でもあり、でも、推理もありと、また、複雑怪奇なものとなっておるようである。
美樹は、「我が愛しのアイリーン」に登場したので、2度目の登場になる。父に聞くと、昔のミステリーをまとめることを計画しているんだという。3度目の登場も、間近かもしれないな。
表紙のカバーは、有名な本格ミステリー作家のイラストで飾られている。どの絵も、よく描けていている。みていて、とても楽しいし、良い雰囲気である。手に持っているものや、壁の絵にも注目してね。順不同だな。
実際に、これだけの人が一同に会したことは、歴史上、ない。でも、もし、これだけの人々が一同に顔を合わせたなら、どんな会話がなされたことだろう。
父に聞くと、作中作みたいなものでもあり、本格推理についての、エッセイや評論風でもあり、でも、推理もありと、また、複雑怪奇なものとなっておるようである。
美樹は、「我が愛しのアイリーン」に登場したので、2度目の登場になる。父に聞くと、昔のミステリーをまとめることを計画しているんだという。3度目の登場も、間近かもしれないな。
2008年6月21日土曜日
情報端末進化
今日は、父、太郎とともに、携帯を変更してきた。
父の携帯が壊れたので、買い換えたがっていたので、一緒に変えてもらった。
2年で、携帯はずいぶん、進化した。
今年の夏モデルはまだ発売されてなかったの、春モデルから選んどいた。
二人で、S社にしたので、父とは、話し放題である。といっても、父と話すことは、ほとんどない。
今度は、ワンセグなので、TVも見れる。でも最近のTVはつまんないので、TVをみることもあんまりない。 もっぱら最近は、ディズニーチャンネルとかだ。
今度は、情報端末で、ヤフーを検索できる。情報検索は、商品購入に役立つかな。けれど、父、曰く、情報に振り回されずに、情報を制御することが大切。情報が目的ではなく、その先にある目的のための手がかりなだけなのだから、情報の扱い方に気をつけるように。発信性、信頼性、目的性、印象性、影響性・・・。
でもやっぱり、メールだな。
これで、おたく道、まっしぐらだな。
父の携帯が壊れたので、買い換えたがっていたので、一緒に変えてもらった。
2年で、携帯はずいぶん、進化した。
今年の夏モデルはまだ発売されてなかったの、春モデルから選んどいた。
二人で、S社にしたので、父とは、話し放題である。といっても、父と話すことは、ほとんどない。
今度は、ワンセグなので、TVも見れる。でも最近のTVはつまんないので、TVをみることもあんまりない。 もっぱら最近は、ディズニーチャンネルとかだ。
今度は、情報端末で、ヤフーを検索できる。情報検索は、商品購入に役立つかな。けれど、父、曰く、情報に振り回されずに、情報を制御することが大切。情報が目的ではなく、その先にある目的のための手がかりなだけなのだから、情報の扱い方に気をつけるように。発信性、信頼性、目的性、印象性、影響性・・・。
でもやっぱり、メールだな。
これで、おたく道、まっしぐらだな。
2008年6月15日日曜日
古畑任三郎のパロディ精神
久しぶりの任三郎である。
といっても中学生である。
中学生であるので、事件そのものは、なんというか、たいしたことはないというか、ホームズの事件である。
シャーロック・ホームズの事件をパロっている。赤毛連盟、マスグレイブ家の儀式、美しき自転車乗り・・・、そっくりな事件が、任三郎が、探偵事務所を開設したとたんに、次々と相談されてくる。極めつけは、ホームずばりに、母親の連れてきた男のことについて、推理し、言い当てるところかな。なんともユーモラスで、しかも、売れない作家とはわびしいさが漂う。しかし、ワトソン役の向島君は、本物の馬鹿であるねえ。
任三郎といえば、刑事コロンボの日本版であることは、周知の事実である。そういえば、父、太郎は、このところ発売されているコロンボのCDを買って、昔を懐かしんでいるようだ。CDでは、父、太郎は、ジェレミー・ブレットのホームズ物語についてもCDをBOXで買って全巻みたらしい。美樹としては、ホームズ君よりも、ポワロ君の方が好きなのだが・・・。ムッシュ、モナミ。
今回は、コロンボではなく、ホームズのパロディになっている。三谷幸喜にとっての中学生の思い出の一つが、シャーロック・ホームズの物語でもあるのだろうか。この調子で、高校生や大学生の任三郎が、次々に、有名探偵をパロッて登場するシリーズ化になったらいいなあ。
といっても中学生である。
中学生であるので、事件そのものは、なんというか、たいしたことはないというか、ホームズの事件である。
シャーロック・ホームズの事件をパロっている。赤毛連盟、マスグレイブ家の儀式、美しき自転車乗り・・・、そっくりな事件が、任三郎が、探偵事務所を開設したとたんに、次々と相談されてくる。極めつけは、ホームずばりに、母親の連れてきた男のことについて、推理し、言い当てるところかな。なんともユーモラスで、しかも、売れない作家とはわびしいさが漂う。しかし、ワトソン役の向島君は、本物の馬鹿であるねえ。
任三郎といえば、刑事コロンボの日本版であることは、周知の事実である。そういえば、父、太郎は、このところ発売されているコロンボのCDを買って、昔を懐かしんでいるようだ。CDでは、父、太郎は、ジェレミー・ブレットのホームズ物語についてもCDをBOXで買って全巻みたらしい。美樹としては、ホームズ君よりも、ポワロ君の方が好きなのだが・・・。ムッシュ、モナミ。
今回は、コロンボではなく、ホームズのパロディになっている。三谷幸喜にとっての中学生の思い出の一つが、シャーロック・ホームズの物語でもあるのだろうか。この調子で、高校生や大学生の任三郎が、次々に、有名探偵をパロッて登場するシリーズ化になったらいいなあ。
2008年6月14日土曜日
単純に必要なもの
必要なものを必要なときに手に入れる。
父、太郎曰く、消費と生産の基本は、必要であるという。
必要とは、必ず要するものということで、不要ではないということ。存在する意味のあるもの。不足でも過剰でもないこと。
求めすぎても、求めなくても、適切ではない。
適切とは、人と人の存在に見合った状況とが合致していること。
簡単がよい。簡単が美しい。不要なものはないほうがいい。必要なもののみがあることが良い。
そんなわけで、父、太郎の生活は、単純。簡単である。
なんせ、考えることが好きなのだから。見ていると、単に、いるだけである。
ただ、本人曰く、頭の中は回転している。回転していないこともあるが、それでも、行動していない分、回転している、なんていう。
こんなふうに、父、太郎が簡単なのだから、その状況も簡単である。
ただ、ときたま、へんなことを言うこともある。
やっぱり、考えているんだと思うこともあるが、分かりにくくて困ることが多い。
父、太郎曰く、消費と生産の基本は、必要であるという。
必要とは、必ず要するものということで、不要ではないということ。存在する意味のあるもの。不足でも過剰でもないこと。
求めすぎても、求めなくても、適切ではない。
適切とは、人と人の存在に見合った状況とが合致していること。
簡単がよい。簡単が美しい。不要なものはないほうがいい。必要なもののみがあることが良い。
そんなわけで、父、太郎の生活は、単純。簡単である。
なんせ、考えることが好きなのだから。見ていると、単に、いるだけである。
ただ、本人曰く、頭の中は回転している。回転していないこともあるが、それでも、行動していない分、回転している、なんていう。
こんなふうに、父、太郎が簡単なのだから、その状況も簡単である。
ただ、ときたま、へんなことを言うこともある。
やっぱり、考えているんだと思うこともあるが、分かりにくくて困ることが多い。
2008年6月8日日曜日
人間活動と地球崩壊
父、太郎が言う。
社会構造が、いま、歴史の流れに逆行しているという。
大昔、国は、ほんの一握りの王族が支配していた。神からの血筋と言う名分のもとの支配だった。王族は増殖し、各地にその地の王を打ちたて、支配した。けれど、各地に有力な実力者が現れるにいたり、王の血統のみの支配には破綻が生じ、武力に勝る者が取って代わった。ここに、王家以外の者の支配が始まる。武力の戦いでは強いものが勝つ。やがて、王家は別の武力勢力に負け、別の支配者が生まれる。血筋ではなく力が支配力の源になる。力を増大させるには、国力を強める必要がある。国力を強めることで、民衆が力を持つ。経済力を持ったものが強くなるのだ。経済支配は、民衆の力を増大させ、民主主義を生む。経済成長は、生産性、技術力などの知的な水準によって生み出される。
この流れは、力は一極集中から分散される方向を示す。一部の権力者の支配から、多くの人々の協議的支配への方向性を示す。血筋、武力、経済、技術力と、実態支配の方向性を示す。
ところが、ここに来て、社会は、大衆の力が弱まり、一部の優位者の社会になりつつある。経済性の強まり、技術性の強まりが、中枢機能強化へとつながり、社会の中枢のみが支配力をもつ構造に移行しつつあるのだ。しかも、優位者優位の構造が強まっている。優位者が優位者の強みを押し出しすぎているのだ。しかも、優位者は、その優位者優位を隠蔽するために、実態と虚構を生み出し、実態とは異なる、部分に作用しているという。すなわち、生産と消費という実体経済ではなく、その裏の関係にある貸付と貸し出しという金融経済で支配しているという。
もっとも、父、太郎は言う。
このままでは地球が持たない。
実体経済は、物質変化とエネルギー変換という科学世界というもう一つの循環と繋がっている。実体経済の活動は科学世界、すなわち、この地球環境の変化を生み出すという。だかた、金融経済の虚構は、一方で、地球と言う限定された閉鎖環境の中では、平衡のずれを生み、やがては平衡崩壊し、環境が持たなくなる。この生存の場自体が崩壊してしまうなら、支配力に意味もなくなる。だから、環境崩壊になることを選択するか、自己規制をすることを選択するか、どちらかを選ぶことになるだろうという。
ようは、人間の欲望がこの世界を壊しつつあるのだという。自分のことばかりではなく、他者を、自然を、地球全体を守ることを意図し、全てが共存することを目的に、制度や行為をしなければいけない段階にあるという。
社会構造が、いま、歴史の流れに逆行しているという。
大昔、国は、ほんの一握りの王族が支配していた。神からの血筋と言う名分のもとの支配だった。王族は増殖し、各地にその地の王を打ちたて、支配した。けれど、各地に有力な実力者が現れるにいたり、王の血統のみの支配には破綻が生じ、武力に勝る者が取って代わった。ここに、王家以外の者の支配が始まる。武力の戦いでは強いものが勝つ。やがて、王家は別の武力勢力に負け、別の支配者が生まれる。血筋ではなく力が支配力の源になる。力を増大させるには、国力を強める必要がある。国力を強めることで、民衆が力を持つ。経済力を持ったものが強くなるのだ。経済支配は、民衆の力を増大させ、民主主義を生む。経済成長は、生産性、技術力などの知的な水準によって生み出される。
この流れは、力は一極集中から分散される方向を示す。一部の権力者の支配から、多くの人々の協議的支配への方向性を示す。血筋、武力、経済、技術力と、実態支配の方向性を示す。
ところが、ここに来て、社会は、大衆の力が弱まり、一部の優位者の社会になりつつある。経済性の強まり、技術性の強まりが、中枢機能強化へとつながり、社会の中枢のみが支配力をもつ構造に移行しつつあるのだ。しかも、優位者優位の構造が強まっている。優位者が優位者の強みを押し出しすぎているのだ。しかも、優位者は、その優位者優位を隠蔽するために、実態と虚構を生み出し、実態とは異なる、部分に作用しているという。すなわち、生産と消費という実体経済ではなく、その裏の関係にある貸付と貸し出しという金融経済で支配しているという。
もっとも、父、太郎は言う。
このままでは地球が持たない。
実体経済は、物質変化とエネルギー変換という科学世界というもう一つの循環と繋がっている。実体経済の活動は科学世界、すなわち、この地球環境の変化を生み出すという。だかた、金融経済の虚構は、一方で、地球と言う限定された閉鎖環境の中では、平衡のずれを生み、やがては平衡崩壊し、環境が持たなくなる。この生存の場自体が崩壊してしまうなら、支配力に意味もなくなる。だから、環境崩壊になることを選択するか、自己規制をすることを選択するか、どちらかを選ぶことになるだろうという。
ようは、人間の欲望がこの世界を壊しつつあるのだという。自分のことばかりではなく、他者を、自然を、地球全体を守ることを意図し、全てが共存することを目的に、制度や行為をしなければいけない段階にあるという。
2008年6月7日土曜日
紫陽花の咲くころ
梅雨に入りました。
紫陽花の花咲くこのごろです。
紫陽花は、赤とも青とも紫ともいえず、その色も、天気、時間、見る位置によって、微妙に変わります。
紫陽花色七変化。
四月の桜の後の五月は、花の季節でした。ジャーマンアイリス、藤(紫、白、ピンク)、木蓮(紫、黄)、テッセン、丁字蔓・・・
六月は葉の季節です。特に、雨にぬれた葉に風情があります。紫陽花も、花というよりも、雨にぬれた葉のように葉のなかの葉にように見えたりもします。
紫陽花には、白い花を付ける紫陽花もあり、葉に蝶が行儀よく並んでいるようにも見えます。かわいらしさ、群れをなすというのも、この季節の花の特徴のように思います。それに、雨にぬれてこそ美しいというのが、この季節の花や葉の特徴のようです。
紫陽花の花咲くこのごろです。
紫陽花は、赤とも青とも紫ともいえず、その色も、天気、時間、見る位置によって、微妙に変わります。
紫陽花色七変化。
四月の桜の後の五月は、花の季節でした。ジャーマンアイリス、藤(紫、白、ピンク)、木蓮(紫、黄)、テッセン、丁字蔓・・・
六月は葉の季節です。特に、雨にぬれた葉に風情があります。紫陽花も、花というよりも、雨にぬれた葉のように葉のなかの葉にように見えたりもします。
紫陽花には、白い花を付ける紫陽花もあり、葉に蝶が行儀よく並んでいるようにも見えます。かわいらしさ、群れをなすというのも、この季節の花の特徴のように思います。それに、雨にぬれてこそ美しいというのが、この季節の花や葉の特徴のようです。
2008年6月1日日曜日
心地よい場所
ようやく温かくなってきた。
ももの定位置も、今までの変わってきた。
ももには、いくつかお気に入りの定位置がある。
玄関横の窓枠の中、応接室のテレビの上、飾り棚の上、応接室の東の出窓の中央、応接室の南の窓の中央、応接室のソファの上、応接室の椅子の上、今の西の窓の中央、今の簡易ベッドの上、食堂の椅子の上などがお気に入りの場所である。
寝床の定位置は、ある程度、季節変動する。
冬は、応接室のテレビの上の位置がお気に入りだ。温かいのだろう。
春は、それが今の簡易ベッドの上がお気に入りに変わった。
昼間の位置は、日差しによって変わったりする。
美樹が応接室に行くと、やってくる。それで、ひざの上に載ったりする。けれど、父が来てちょっかいを出すと、嫌がって逃げ出してしまう。
父は、それでも、ちょっかいを出す。ちょっかいを出して、「がお」と吼えられて、それでもちょっかいを出すものだから、逃げられる。
ももの定位置も、今までの変わってきた。
ももには、いくつかお気に入りの定位置がある。
玄関横の窓枠の中、応接室のテレビの上、飾り棚の上、応接室の東の出窓の中央、応接室の南の窓の中央、応接室のソファの上、応接室の椅子の上、今の西の窓の中央、今の簡易ベッドの上、食堂の椅子の上などがお気に入りの場所である。
寝床の定位置は、ある程度、季節変動する。
冬は、応接室のテレビの上の位置がお気に入りだ。温かいのだろう。
春は、それが今の簡易ベッドの上がお気に入りに変わった。
昼間の位置は、日差しによって変わったりする。
美樹が応接室に行くと、やってくる。それで、ひざの上に載ったりする。けれど、父が来てちょっかいを出すと、嫌がって逃げ出してしまう。
父は、それでも、ちょっかいを出す。ちょっかいを出して、「がお」と吼えられて、それでもちょっかいを出すものだから、逃げられる。
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