本当の本質が見えなくて、でも、状況的な対処のみすると、状況はかえって歪む。
でも、歪むことを承知で、歪むことをする人がいる。
世の中が歪むか歪まないかなど、どうでもいいと思っているのだ。
本質を見ることが出来なければ歪む。
自分だけが大切とか思えば歪む。
やがて、心の歪んだ人になる。
心の歪んだ人は、歪んだ行為をすることを平然とする。
そして、その人の周辺が歪む。
歪んだ人は歪んだ人達の中で生きてゆく。
そして、世の中を歪ませてゆく。
やがては、歪んだ人の世界は、歪みきった世界となる。
それは、たぶん、生きるに値しないところまで、歪む。
そんなこともわからず、歪んだ存在は、今日も徐々に歪んでゆく。
2008年10月12日日曜日
2008年10月11日土曜日
ごたごたしている
協力関係が築けずに、不協和音が鳴り響く世界の軋み。
この世界には、物がある。厳然としてある。
一方、人々の気持ちがある。これも、もやっとしているが、確かに有る。
この二つをつなぐものは、お金ではない。お金でつなごうとしても、それはただ、変換するための道具に過ぎない。
何を手にいれ、何を手放すのか?
生活、生き方。
価値観こそが、変換基準である。
お金がなくとも、生活が成り立てば、それは存在し続ける。
お金があっても、生活が成り立たなければ、それは存在し続け得ない。
生活が、成り立つかどうかは、お金の量ではない。お金の流れである。生活は活動なのだから。少ないお金でも、流れ、循環が起こっていれば、そこに調和があり、生活が成り立つ。お金があっても、循環がなければ、それはただの紙くずだ。
循環すること、それは、自分ひとりではなく、ある規模での関係が成り立っているということを示す。
循環する関係性を成り立たせることが、重要なことだと思う。
この世界には、物がある。厳然としてある。
一方、人々の気持ちがある。これも、もやっとしているが、確かに有る。
この二つをつなぐものは、お金ではない。お金でつなごうとしても、それはただ、変換するための道具に過ぎない。
何を手にいれ、何を手放すのか?
生活、生き方。
価値観こそが、変換基準である。
お金がなくとも、生活が成り立てば、それは存在し続ける。
お金があっても、生活が成り立たなければ、それは存在し続け得ない。
生活が、成り立つかどうかは、お金の量ではない。お金の流れである。生活は活動なのだから。少ないお金でも、流れ、循環が起こっていれば、そこに調和があり、生活が成り立つ。お金があっても、循環がなければ、それはただの紙くずだ。
循環すること、それは、自分ひとりではなく、ある規模での関係が成り立っているということを示す。
循環する関係性を成り立たせることが、重要なことだと思う。
2008年10月5日日曜日
ガリレオΦ
うちの父、太郎は、化学者であるという現在形ではなく、あったと過去形にするほうがよさそうであるが、湯川先生は、天才物理学者である。うちの父とは、物理と化学の違いがあるが、天才か天才でないかの違いもあるのだろう。もっとも、本人は、物理と化学の違いのみの違いしかないと想っているのではないかと疑いたくなる節もある。
てなわけで、昨日、映画のガリレオに合わせてだろう、ガリレオΦがTVで放映された。大学生の時の事件が回想されつつ、助教授時代の事件が扱われている。
ちなみに、この回想の事件のほうでは、あの天才数学者となりうる石神も、後姿のみ、ちらっと登場したりする。
それにしても、湯川先生の犯罪の仮説の実証実験は、とおても、お金がかかるだろうし、どう考えても、そんな短期間で、必要な器具を用意できないだろうと思えるのが、あっというまに準備され、実験されてしまうのが、とても奇妙である。いったいどれほどの人間が協力したら、成立するか、誰か試算してもらいたいものである。
それなのに、そんなすごい実験を可能とするのだから、ひょうっとして、湯川先生は、大富豪の一族だったりするのだろうか。
てなわけで、昨日、映画のガリレオに合わせてだろう、ガリレオΦがTVで放映された。大学生の時の事件が回想されつつ、助教授時代の事件が扱われている。
ちなみに、この回想の事件のほうでは、あの天才数学者となりうる石神も、後姿のみ、ちらっと登場したりする。
それにしても、湯川先生の犯罪の仮説の実証実験は、とおても、お金がかかるだろうし、どう考えても、そんな短期間で、必要な器具を用意できないだろうと思えるのが、あっというまに準備され、実験されてしまうのが、とても奇妙である。いったいどれほどの人間が協力したら、成立するか、誰か試算してもらいたいものである。
それなのに、そんなすごい実験を可能とするのだから、ひょうっとして、湯川先生は、大富豪の一族だったりするのだろうか。
2008年10月4日土曜日
いらないものがおおすぎる
地球は、ごみごみしている。
日本もごみごみしている。
山麓もごみごみしている。
この山荘とて、ごみごみしている。
自分にとって、いらないもの、不要なものというのがある、というか、いらないものの方が多い。でも、それは、他の人にとって、必要なものあるのかもしれない。
けれども、誰にとっても必要のないもの、不要なものというものもあるんじゃないだろうか。
父、太郎に言わせると、この世の中の物質に不要なものはない。不要だとすれば、それは、人間が不要な形態に、形を変えてしまったものだからだろう、という。
たしかに、ごみと呼ばれるものは、本来、人間が何かを作ることで生じた不要物であったり、作ったものの使えなくなったものだったり、もっと良いものが生まれてきたために放置されてしまったりしたものなのだ。
ならば、人間が、活動し、物を作り出すことは、必然的にごみを有むということになる。ならば、いらないものもおおくなるというものだ。
日本もごみごみしている。
山麓もごみごみしている。
この山荘とて、ごみごみしている。
自分にとって、いらないもの、不要なものというのがある、というか、いらないものの方が多い。でも、それは、他の人にとって、必要なものあるのかもしれない。
けれども、誰にとっても必要のないもの、不要なものというものもあるんじゃないだろうか。
父、太郎に言わせると、この世の中の物質に不要なものはない。不要だとすれば、それは、人間が不要な形態に、形を変えてしまったものだからだろう、という。
たしかに、ごみと呼ばれるものは、本来、人間が何かを作ることで生じた不要物であったり、作ったものの使えなくなったものだったり、もっと良いものが生まれてきたために放置されてしまったりしたものなのだ。
ならば、人間が、活動し、物を作り出すことは、必然的にごみを有むということになる。ならば、いらないものもおおくなるというものだ。
2008年9月28日日曜日
最近読んだ本
最近読んだ本のベスト3を書こうかな。
一つ目は、『のぼうの城』、和田竜さんとうい人のもの。丹波も和泉も靭負もいいけど、甲斐姫がかっこいいね。それにひきかえ、「のぼうよ、しっかりせい」と、どつきたくなるぞ。
二つ目は、『レインツリーの国』、有川浩さんのものですが、この本では自衛隊は登場しません。伸は、ちょっと理屈っぽいけれど、誠実だなと思います。それに引き換え、ひとみさんは頑固だなと思います。
三つ目は、『容疑者Xの献身』、東野圭吾さんのガリレオものです。TVシリーズでは、変人ガリレオを福山雅治さんが演じていましたけど、こんど、この本が、映画になるようですから、見に行きたいと思っています。本では、女刑事は登場しないんですね。
なんだか、全然統一感のない3本になってしまいましたけど、おもしろかったんだからしかたないか。
一つ目は、『のぼうの城』、和田竜さんとうい人のもの。丹波も和泉も靭負もいいけど、甲斐姫がかっこいいね。それにひきかえ、「のぼうよ、しっかりせい」と、どつきたくなるぞ。
二つ目は、『レインツリーの国』、有川浩さんのものですが、この本では自衛隊は登場しません。伸は、ちょっと理屈っぽいけれど、誠実だなと思います。それに引き換え、ひとみさんは頑固だなと思います。
三つ目は、『容疑者Xの献身』、東野圭吾さんのガリレオものです。TVシリーズでは、変人ガリレオを福山雅治さんが演じていましたけど、こんど、この本が、映画になるようですから、見に行きたいと思っています。本では、女刑事は登場しないんですね。
なんだか、全然統一感のない3本になってしまいましたけど、おもしろかったんだからしかたないか。
2008年9月27日土曜日
知っていることと、知っていると同じこと
このところ、父、四季が岳太郎の帰りが遅い。休祝日も、部屋にこもって、なにやら、机に向かっている。今度の大学で使用する講義の資料を作成しているようだ。
本業の仕事のほうも、なんだか、立場が上がったようで、このところ忙しそうである。
父、太郎の仕事は、難しい。
「分析」の相談にのる営業をしているのだそうな。それで、分析のことを全てわかっているのかと聞くと、全てのことがわかるわかっているわけではないという。でも、提供できる分析は、所属している分析の会社の出来ることを提供するだけだから、自分が知らないことなら、誰ができるのかということを知っていて、その人に聞けば良いのだという。そして、聞くために、どのような情報を知り、教えれば答えが得られるかを知っていれば良いのだという。
世の中の多くのことも、全てを知ることなんて出来ないけれど、必要なことがわかる手立てを持っていることについては、知っていることとどう意義の意味を持つのだという。
本業の仕事のほうも、なんだか、立場が上がったようで、このところ忙しそうである。
父、太郎の仕事は、難しい。
「分析」の相談にのる営業をしているのだそうな。それで、分析のことを全てわかっているのかと聞くと、全てのことがわかるわかっているわけではないという。でも、提供できる分析は、所属している分析の会社の出来ることを提供するだけだから、自分が知らないことなら、誰ができるのかということを知っていて、その人に聞けば良いのだという。そして、聞くために、どのような情報を知り、教えれば答えが得られるかを知っていれば良いのだという。
世の中の多くのことも、全てを知ることなんて出来ないけれど、必要なことがわかる手立てを持っていることについては、知っていることとどう意義の意味を持つのだという。
2008年9月23日火曜日
33分探偵の名言
土曜日の深夜には、33分探偵がいる。この男、鞍馬六郎は、すでに、始まりから5分くらいで犯人が自首するような単純な事件を33分、推理するのだ。
痩せたまぐろなら刺さるよねえ!
この言葉が一番印象的である。とにかく、根拠のない推理を構築するのである。もっとも、父、四季が岳太郎、曰く、わかりきったことから、妥当性ある推理を展開することは、誰にでも出来ることであるという。少しの手がかりから、自由な発想で、いろんなことを考えることは、とても重要である。鞍馬六郎の推理は、現実的可能性がほとんどないような推理を組み立てるが、「痩せたマグロなら凶器になる」という発想、その自由な感覚が、現代人に足りないところなのだろう。
それにしても、本当に、「痩せたまぐろなら刺さるのだろうか?」
もちろん、人の体にである。
痩せたまぐろなら刺さるよねえ!
この言葉が一番印象的である。とにかく、根拠のない推理を構築するのである。もっとも、父、四季が岳太郎、曰く、わかりきったことから、妥当性ある推理を展開することは、誰にでも出来ることであるという。少しの手がかりから、自由な発想で、いろんなことを考えることは、とても重要である。鞍馬六郎の推理は、現実的可能性がほとんどないような推理を組み立てるが、「痩せたマグロなら凶器になる」という発想、その自由な感覚が、現代人に足りないところなのだろう。
それにしても、本当に、「痩せたまぐろなら刺さるのだろうか?」
もちろん、人の体にである。
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