2008年7月19日土曜日

心地よい速度1

 父、四季が岳太郎曰く、人の生活が経済活動を決める。それが基本である。人の生活以上の経済を求めれば、ゆがみが生じ、どこかにしわ寄せが生まれる。そのしわ寄せは、地域格差になるかもしれないし、世代間格差になるかもしれない。
 人の生活は、人の物事を進める速度に依存する。人の速度は、人間が生み出してきた物の速度に比べ遅いものである。逆に、人間は、人間が行い得ない速度を手に入れるために、さまざまなものを生み出してきたとも言うことができる。徒歩よりも、自転車、自転車よりも自動車、自動車よりも列車、列車の中でも新幹線、と、速度は増している。その速度は、人間が行いえる速度をはるかに凌いでいる。
 たとえば、家電製品にしても、掃除機、冷蔵庫、それらのものだって、機能を速度に置き換えることが出来る。たとえば、物を冷やすには、氷を取ってこなければならないけれど、寒いところから氷を取ってきて物を冷やすのに、たとえば、数日の時間がかかるのに比べ、冷蔵庫があれば、すぐに物を冷やせる。物を冷やす速度と言う点では、冷蔵庫の方が圧倒的に速い。
 情報収集にしても、図書館に行き調べることを考えたら、インターネット検索は圧倒的に速度が速い。
 さて、速度が速くなるということは、物事の本質として何を意味しているだろう。最初があり、すぐに結果が来るということだから、途中の過程が、想定的に短くなることになる。人の人生は、生まれてから死ぬまで、その期間はほぼ百年である。人間にとって重要なのは、百年の過程である。ところが、物の世界では、過程を縮小し、結果の連続を積み重ねる方向に動いている。人間が物の速度に追いつけていない結果、何が生じるかといえば、考えずに行動せざるを得ない、もしくは、人の考えの速度の速いほうが物の速度に近づくので、速度の速い人間ほど有利な世界が形成される。速ければよいという物の特性に、人間が引きずられ、優劣が生じる世界になってしまうのだ。

2008年7月13日日曜日

何もしないのが一番省エネ

 世の中、物価高である。
 こんなとき、何をすればよいのかと父、太郎に尋ねると、何もしないのが一番と答える。
 石油も必要とする人が多いから値が上がる。つまり、ほしがるひとがいないのなら、値段もあがらないという。
 幸い、父は経済的である。服もほとんど買わない、何かを集めるという趣味もない。旅も嫌いである。第一、仕事はしょうがなく出掛かけるが、仕事でなければ、出かけない。自分から、何かの消費活動をするということがないのでる。買うものといえば、本くらいだろうか。あとは、寝ているか、考えているからしい。
 つまり、考えるのも寝てるのも、はたから見ると、何もしていないということだ。
 本人が、それで満足しているのだから、これほど、経済的なこともない。
 しかし、父、太郎は、出かけないし、何もしない割りに、割と世の中のことを知っている。どうも、若いときは、案外、いろいろと、していた父子がある。
 うちの片隅に、フルセットに近いカメラがあったり、パソコンは、古くから使っていたようだし、アルプスの山々も歩いたことがあるらしいし、温泉も、有馬温泉や白骨温泉など、比較的有名どころに行っていたりする。
 かといって、理学博士であったりするのだから、若いときのことは、謎に包まれている。

2008年7月12日土曜日

夏は何かと面倒くさい!

 梅雨でじめじめしていると思っていたら、あっという間に、夏がやってきてしまった。
 今年は、紫陽花咲く鎌倉にいけなかったので、来年こそは行こうと思っていたら、父は、会社帰りに電車で、寝ぼけていたか、寝過ごして、北鎌倉まで行ったらしい。美樹も、ぼけっとしていて、藤沢まで行ってしまったことがある。まあ、何かと無駄があるのが人間なのだ。夏は、暑すぎるのだ。沖縄は好きだけど、都会が暑いのは、いやなものだ。でもって、夏はめんどくさいなあ、と口癖になる。
 すると、父、太郎が、「人生はそもそも、面倒くさいものである。そもそも、人間は、生まれたときは何も出来ないものが、社会で生きてゆくようになるために、いろんなことを身に付けてゆかなければならない。すなわち、出来ないことをできるようにしてゆかなければならないのだ。出来ないことをできるようにするのは、面倒なことである。出来ることをしていたほうが楽だ。つまり、自分の出来ることをしているほうが楽だけれど、自分の出来ないことをするほうがえてして面倒だということは、自分自身の能力がおおきく、質の良いものであれば、面倒なことを少なくなる。人生において、少しずつ、自分の能力向上をしてゆくけば、自然とめんどくさいことは減少するのである。美樹はまだ、成長途中なのであるから、面倒くさいことが多いのは当たり前である。ただ、100%面倒なことというのは、余りにも、今有る自分の能力とはかけ離れたことなので、できっこないこともあるけれど、今ある能力の周辺を延ばしてゆくのは、面倒くさいというその先に、面白みや楽しみが待っているものだから、まあ、ちょっとくらい面倒なことならば、やってみるのがよろしい。」、「暑いなあ、寝てよう」といって2階へ行ってしまう。美樹はひそかに、これを、「冬眠」でもいなく、「仮眠」でもなく、「夏眠」と呼んでいる。

2008年7月6日日曜日

山荘人

 「まりもっこり」は、北海道の「まりこ」+「もっこり」だ。観光に訪れる人に、ちょっとした、楽しみを与えている?のである。
 「どてレンジャー」は、荒川の「どて」+「レンジャー」だ。五人組みの戦闘隊で、荒川の土手が決壊するしないように、日々、努力しているのである。
 「山荘人」は。四季が岳の「山荘」+「人」である。
 父、太郎曰く、「山荘人」は、「三そう人」を目指すのだという。
 一つ目の「そう」は、「創」で、創造する力であるという。
 二つ目の「そう」は、「想」で、自分が出会ういろいろな出来事、人、物について、思い巡らすことであるという。
 三つ目の「そう」は、「操」で、自分自身を含め、いろいろなことを操る、制御することであるという。
 もっとも、最後には、四つ目の「葬」がくるんだけど、それまで、三つの「創・想・操」に努力すべしと言う。

2008年7月5日土曜日

地球温暖化?

 山荘の庭には、アメリカンデイゴの木がある。
沖縄にあるデイゴに似て、赤い花が咲くが、熱帯性ではなく、この辺の気候でも、枯れずに毎年花が咲く。
 10年くらい前に、父、太郎が植えたもので、最初のころは、冬は、むしろで覆って、越冬させていたらしい。
 でも、このごろは、3メートルくらいの大きな木になったので、父も、手を抜いているというか、面倒くさいのか、太い幹になってきているので、大丈夫と思っているのか、枯れた部分の枝を切り落とすだけで、筵を巻くこともなくなっている。
 それでも、枯れずに、夏に花を咲かせる。
 今年は、梅雨の前に花が咲いた。ずいぶんと速いうちからの開花だ。たぶん、これから、夏までの4ヶ月ほどは、だんだん、花の数が増えてゆくんだろう。
 こんな、身近なところにも、地球の温暖化が見え隠れする。
 木はいい。緑はいい。二酸化炭素を固定してくれる。
 

2008年6月29日日曜日

ひげ、毛を抜くなよ

 美樹、気を抜くなよ、と父、太郎がいうので、
 ひげ、毛を抜くなよ、と父、太郎にいい、イエイと親指を立てたら
イエイ、と親指を立てて、
 もも、いくら抜けても大丈夫だからいいよな、と猫にいいながら、頭ですりすりして、去っていった。
 ももは、手を出すと手を出すのだが、父、太郎が、頭ですりすりしても、手を出さない。すりすりされたところをなめるくらいである。
 なぜ、なめるのかは分からないが、父、太郎は、爪の垢をせんじて飲むのならず、髪の毛のすりすりをなめたほうが、頭が良くなる、良くなる、と訳の分からないことを言いながら去ってゆく。
 他にも、とっぴに、踊りだしたり、奇妙なことを言い出したりするので、一緒に、外出するときには、要注意である。
 年を取ると、羞恥心と言うものがなくなるのだろうか。
 

2008年6月28日土曜日

ハランの花

 今年は、ハランに花が咲いた。
 ハランは、蘭の一種であることが、花を見ると実感させられる。
 庭のハランは、2株ある。ひとつは、くすんだ緑色の株、もう一つは、白線の入った薄い緑色の株だ。二株とも、父が10年前くらいに植えたものらしい。葉の丈は人の背丈ほどに伸びている。
 このうち、白線の入った薄緑のほうのハランに2本、花芽が伸びた。花芽のほうが葉よりも高く伸びていて、2mほどもあるだろうか。2本とも、薄紫色で、じぐざくと曲がりながら伸びていて、かどかどから5本から10本の花が密集している軸が伸びている。
 軸の先の花は、くすんだ赤色で、蕾上の長細いその赤の先は、黄色いめしべが数本のびている。
 じぐざぐ状に10本て、それぞれに、5~10本の花がついていて、それが2本だから、100~200個も花がついた計算になる。これまで10年、一度も咲かずにきたことを思えば、計算してみると、0から100以上の花がつくという劇的な変化だというのを実感する。