父、太郎が言う。
社会構造が、いま、歴史の流れに逆行しているという。
大昔、国は、ほんの一握りの王族が支配していた。神からの血筋と言う名分のもとの支配だった。王族は増殖し、各地にその地の王を打ちたて、支配した。けれど、各地に有力な実力者が現れるにいたり、王の血統のみの支配には破綻が生じ、武力に勝る者が取って代わった。ここに、王家以外の者の支配が始まる。武力の戦いでは強いものが勝つ。やがて、王家は別の武力勢力に負け、別の支配者が生まれる。血筋ではなく力が支配力の源になる。力を増大させるには、国力を強める必要がある。国力を強めることで、民衆が力を持つ。経済力を持ったものが強くなるのだ。経済支配は、民衆の力を増大させ、民主主義を生む。経済成長は、生産性、技術力などの知的な水準によって生み出される。
この流れは、力は一極集中から分散される方向を示す。一部の権力者の支配から、多くの人々の協議的支配への方向性を示す。血筋、武力、経済、技術力と、実態支配の方向性を示す。
ところが、ここに来て、社会は、大衆の力が弱まり、一部の優位者の社会になりつつある。経済性の強まり、技術性の強まりが、中枢機能強化へとつながり、社会の中枢のみが支配力をもつ構造に移行しつつあるのだ。しかも、優位者優位の構造が強まっている。優位者が優位者の強みを押し出しすぎているのだ。しかも、優位者は、その優位者優位を隠蔽するために、実態と虚構を生み出し、実態とは異なる、部分に作用しているという。すなわち、生産と消費という実体経済ではなく、その裏の関係にある貸付と貸し出しという金融経済で支配しているという。
もっとも、父、太郎は言う。
このままでは地球が持たない。
実体経済は、物質変化とエネルギー変換という科学世界というもう一つの循環と繋がっている。実体経済の活動は科学世界、すなわち、この地球環境の変化を生み出すという。だかた、金融経済の虚構は、一方で、地球と言う限定された閉鎖環境の中では、平衡のずれを生み、やがては平衡崩壊し、環境が持たなくなる。この生存の場自体が崩壊してしまうなら、支配力に意味もなくなる。だから、環境崩壊になることを選択するか、自己規制をすることを選択するか、どちらかを選ぶことになるだろうという。
ようは、人間の欲望がこの世界を壊しつつあるのだという。自分のことばかりではなく、他者を、自然を、地球全体を守ることを意図し、全てが共存することを目的に、制度や行為をしなければいけない段階にあるという。
2008年6月7日土曜日
紫陽花の咲くころ
梅雨に入りました。
紫陽花の花咲くこのごろです。
紫陽花は、赤とも青とも紫ともいえず、その色も、天気、時間、見る位置によって、微妙に変わります。
紫陽花色七変化。
四月の桜の後の五月は、花の季節でした。ジャーマンアイリス、藤(紫、白、ピンク)、木蓮(紫、黄)、テッセン、丁字蔓・・・
六月は葉の季節です。特に、雨にぬれた葉に風情があります。紫陽花も、花というよりも、雨にぬれた葉のように葉のなかの葉にように見えたりもします。
紫陽花には、白い花を付ける紫陽花もあり、葉に蝶が行儀よく並んでいるようにも見えます。かわいらしさ、群れをなすというのも、この季節の花の特徴のように思います。それに、雨にぬれてこそ美しいというのが、この季節の花や葉の特徴のようです。
紫陽花の花咲くこのごろです。
紫陽花は、赤とも青とも紫ともいえず、その色も、天気、時間、見る位置によって、微妙に変わります。
紫陽花色七変化。
四月の桜の後の五月は、花の季節でした。ジャーマンアイリス、藤(紫、白、ピンク)、木蓮(紫、黄)、テッセン、丁字蔓・・・
六月は葉の季節です。特に、雨にぬれた葉に風情があります。紫陽花も、花というよりも、雨にぬれた葉のように葉のなかの葉にように見えたりもします。
紫陽花には、白い花を付ける紫陽花もあり、葉に蝶が行儀よく並んでいるようにも見えます。かわいらしさ、群れをなすというのも、この季節の花の特徴のように思います。それに、雨にぬれてこそ美しいというのが、この季節の花や葉の特徴のようです。
2008年6月1日日曜日
心地よい場所
ようやく温かくなってきた。
ももの定位置も、今までの変わってきた。
ももには、いくつかお気に入りの定位置がある。
玄関横の窓枠の中、応接室のテレビの上、飾り棚の上、応接室の東の出窓の中央、応接室の南の窓の中央、応接室のソファの上、応接室の椅子の上、今の西の窓の中央、今の簡易ベッドの上、食堂の椅子の上などがお気に入りの場所である。
寝床の定位置は、ある程度、季節変動する。
冬は、応接室のテレビの上の位置がお気に入りだ。温かいのだろう。
春は、それが今の簡易ベッドの上がお気に入りに変わった。
昼間の位置は、日差しによって変わったりする。
美樹が応接室に行くと、やってくる。それで、ひざの上に載ったりする。けれど、父が来てちょっかいを出すと、嫌がって逃げ出してしまう。
父は、それでも、ちょっかいを出す。ちょっかいを出して、「がお」と吼えられて、それでもちょっかいを出すものだから、逃げられる。
ももの定位置も、今までの変わってきた。
ももには、いくつかお気に入りの定位置がある。
玄関横の窓枠の中、応接室のテレビの上、飾り棚の上、応接室の東の出窓の中央、応接室の南の窓の中央、応接室のソファの上、応接室の椅子の上、今の西の窓の中央、今の簡易ベッドの上、食堂の椅子の上などがお気に入りの場所である。
寝床の定位置は、ある程度、季節変動する。
冬は、応接室のテレビの上の位置がお気に入りだ。温かいのだろう。
春は、それが今の簡易ベッドの上がお気に入りに変わった。
昼間の位置は、日差しによって変わったりする。
美樹が応接室に行くと、やってくる。それで、ひざの上に載ったりする。けれど、父が来てちょっかいを出すと、嫌がって逃げ出してしまう。
父は、それでも、ちょっかいを出す。ちょっかいを出して、「がお」と吼えられて、それでもちょっかいを出すものだから、逃げられる。
2008年5月31日土曜日
何の戦争?
ここんところ山麓は騒がしい。
大津波に大地震、異常な殺人・死体遺棄がおきていて、もうそろそろお笑い芸人の芸もネタ切れだ、おもしろい番組も少なくなった、とつぶやいた。
そしたら、父、太郎は、物価の一斉上昇でも賃金が上がらないこと、賃金が上がらないけれどもとられる税金が上がること、形式的な制度と実際に起こっていることの乖離なんか変なことばかりだねと、難しいことを言いながら、でも賛成しているようだ。
このところ、図書館戦争がお気に入りだったけど。でも、シリーズ全て、読破した。次はないものかなと父に聞くと、
戦う前にまず戦いの意味を考え、目的についての有効な手段を選び、結果としてどうなるかを予測し、そのなかから、最善と思われる選択をし、確実に実行してゆく。でも、戦争するもまえに、いらない仕事をなくし仕事の質を高めること、生活の向上に必要なもの、組織を作ること、社会のバランスを良い方向にする制度を作ること、統合的な指揮命令のできることが必要だよなという。
んーん、これって、いったい何のことなんだ?
大津波に大地震、異常な殺人・死体遺棄がおきていて、もうそろそろお笑い芸人の芸もネタ切れだ、おもしろい番組も少なくなった、とつぶやいた。
そしたら、父、太郎は、物価の一斉上昇でも賃金が上がらないこと、賃金が上がらないけれどもとられる税金が上がること、形式的な制度と実際に起こっていることの乖離なんか変なことばかりだねと、難しいことを言いながら、でも賛成しているようだ。
このところ、図書館戦争がお気に入りだったけど。でも、シリーズ全て、読破した。次はないものかなと父に聞くと、
戦う前にまず戦いの意味を考え、目的についての有効な手段を選び、結果としてどうなるかを予測し、そのなかから、最善と思われる選択をし、確実に実行してゆく。でも、戦争するもまえに、いらない仕事をなくし仕事の質を高めること、生活の向上に必要なもの、組織を作ること、社会のバランスを良い方向にする制度を作ること、統合的な指揮命令のできることが必要だよなという。
んーん、これって、いったい何のことなんだ?
2008年5月25日日曜日
自己規定と統合的世界観へ
父、太郎は、世の中のことを良く知り、自分自身の中に、世の中がどのような世の中なのかを認識する必要があるという。
世の中は、競争の時代から協調の時代に移行しつつあるという。個人にしても、会社にしても、より良い生活なり、活動なりを求めるには、個別の存在が勝手な活動をすることは、全体としてみたら、不幸な方向に向かうという。
たしかに、個人的な権利は保障され、制約事項が薄れ、自由度が増した現代では、有る程度、わがままに振舞うことが出来るという。その一方で、人間関係、会社関係のつながりは、深くすることも出来るし希薄な関係をつくることもできるという二極化が生じた。
この二極化は、関係性が売るれることで、孤立的な存在に陥りやすいという危険性をもっている。一方では、協調性を重視するあまり、主体性を失いがちになるという危険性をもはらんでいる。
自由度の増加は、自分自身の存在を自分自身で規定するところから始めなくてはならないと、父は言う。
自分自身を自分で規定するためには、世の中のことを知り、本質を理解し、価値を見極め、全体的、統合的、普遍的に良い方向性を予見し、その方向に動くことだという。
世の中は、競争の時代から協調の時代に移行しつつあるという。個人にしても、会社にしても、より良い生活なり、活動なりを求めるには、個別の存在が勝手な活動をすることは、全体としてみたら、不幸な方向に向かうという。
たしかに、個人的な権利は保障され、制約事項が薄れ、自由度が増した現代では、有る程度、わがままに振舞うことが出来るという。その一方で、人間関係、会社関係のつながりは、深くすることも出来るし希薄な関係をつくることもできるという二極化が生じた。
この二極化は、関係性が売るれることで、孤立的な存在に陥りやすいという危険性をもっている。一方では、協調性を重視するあまり、主体性を失いがちになるという危険性をもはらんでいる。
自由度の増加は、自分自身の存在を自分自身で規定するところから始めなくてはならないと、父は言う。
自分自身を自分で規定するためには、世の中のことを知り、本質を理解し、価値を見極め、全体的、統合的、普遍的に良い方向性を予見し、その方向に動くことだという。
2008年5月24日土曜日
俗・欲望先生
こないだ、父、太郎が、井上喜久子という声優がいるという。神奈川県の出身だそうだ。永遠の17歳であるのだといっているのだという。父は、永遠の28歳などと言っているから、似ているのだろうか?
なんでも、俗・欲望先生にでているという。
それは、俗・絶望先生だろう!
でもって調べてみると、井上喜久子本人役で声優ででているのだという。声優って、アニメのキャラクターになって声を作って役に当たるのが普通だろうけど、この役なら地のままやれる!
父は、文章の世界にいるけど、言葉にすれば、また、違った世界になる。
言葉は、書く読むということと、話す聞く、それに、文字の記号として理解するしない、さらに音として理解するしない(言語としてではなく音として)という次元があると思う。
ひとつの言葉でも、どんなふうに話すか、発音するかで、まったく違う。心地よい言葉にもなるし、聞きたくない言葉にもなる。生理的なことかもしれないけれど、声の持つ魔力があると思う。悪魔が、西岡すみこのような、お笑い芸人の声で、のろいの言葉をかけても凄みがない。
なんでも、俗・欲望先生にでているという。
それは、俗・絶望先生だろう!
でもって調べてみると、井上喜久子本人役で声優ででているのだという。声優って、アニメのキャラクターになって声を作って役に当たるのが普通だろうけど、この役なら地のままやれる!
父は、文章の世界にいるけど、言葉にすれば、また、違った世界になる。
言葉は、書く読むということと、話す聞く、それに、文字の記号として理解するしない、さらに音として理解するしない(言語としてではなく音として)という次元があると思う。
ひとつの言葉でも、どんなふうに話すか、発音するかで、まったく違う。心地よい言葉にもなるし、聞きたくない言葉にもなる。生理的なことかもしれないけれど、声の持つ魔力があると思う。悪魔が、西岡すみこのような、お笑い芸人の声で、のろいの言葉をかけても凄みがない。
2008年5月18日日曜日
変わることと変わらないこと
父、太郎は、科学法則以外は変わるといった。
確かに、環境は変わる。ついこないだ、サイクロンや大地震が起きて、数万人とも言われる多くの人がなくなった。地形も変形した。急激な変化が起きた。それから、地球温暖化とも呼ばれるじわじわとした変化もある。
人も変わる。生まれて、成長し、衰退し、死んでゆく。人は、その考え方も、生まれた後で、変化する環境の中で生きることで、勉強し、変わってゆく。
父、太郎は、人が社会を作っていて、その社会を構成する人が変わってゆくのだから、人の代わりに合わせて、社会も変わるのが必然であるという。
確かに、科学技術の発達で、いろいろ便利なものができている。夏目漱石の時代には、携帯電話も、パソコンもなかった。逆に、今の時代に、夏目漱石はいない。
しかしながら、父、太郎は、物理の世界に慣性の法則というのがあるように、人の世界でも、慣習の法則があるという。人は、社会がいつも同じで、一定であることを前提として物事を考える癖がでるという。変わるか、変わらないかは、時間的な軸だけであるという。短期では一定でも、長期では変動する。ただ、物事によって、一定と見るか変動と見るかの時間が異なる。そして、人はついつい、人中心に考えてしまうので、変動しているのに変動していない、逆に、変動していないのに変動していると間違えることがしばしばある。世の中がおかしいのは、人の考えが間違っているのだという。
確かに、環境は変わる。ついこないだ、サイクロンや大地震が起きて、数万人とも言われる多くの人がなくなった。地形も変形した。急激な変化が起きた。それから、地球温暖化とも呼ばれるじわじわとした変化もある。
人も変わる。生まれて、成長し、衰退し、死んでゆく。人は、その考え方も、生まれた後で、変化する環境の中で生きることで、勉強し、変わってゆく。
父、太郎は、人が社会を作っていて、その社会を構成する人が変わってゆくのだから、人の代わりに合わせて、社会も変わるのが必然であるという。
確かに、科学技術の発達で、いろいろ便利なものができている。夏目漱石の時代には、携帯電話も、パソコンもなかった。逆に、今の時代に、夏目漱石はいない。
しかしながら、父、太郎は、物理の世界に慣性の法則というのがあるように、人の世界でも、慣習の法則があるという。人は、社会がいつも同じで、一定であることを前提として物事を考える癖がでるという。変わるか、変わらないかは、時間的な軸だけであるという。短期では一定でも、長期では変動する。ただ、物事によって、一定と見るか変動と見るかの時間が異なる。そして、人はついつい、人中心に考えてしまうので、変動しているのに変動していない、逆に、変動していないのに変動していると間違えることがしばしばある。世の中がおかしいのは、人の考えが間違っているのだという。
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