2008年5月17日土曜日

変わるものと変わらないもの

 父、太郎曰く、この世界で変わらないと思われるものは、科学法則のみであるという。もっとも、この科学法則も、人間が知る範囲において変わらないというだけのものであるが、人間が知る部分において、変わらないのだから、まあ、変わらないと考えてよいのだろうと、あいまいな言いようをする。まあ、ともかく、科学法則は変わらないと断言する。
 科学法則は、この世界の物質の動きの基本を説明したものであるが、動きの基本が分かったからといって、物質の動きの全ての状況が把握できた分部はない。なぜなら、人間は、ある一定条件における、この世界の全ての状況を把握できはしないからだ、ともいう。だから、この世界のことは、分からない。
 さらに、人間は、この世の中を変える力を持ちつつあるといっても、たかが知れているという。人間がこの世界の極ごく一部のほんの少しのごみのような存在であるから、この世を変える力も、ごくごくわずかなほとんど力を及ぼしてもいないほどの力しか行使していないとも言う。
 地球と言う小さな池の中の蛙に過ぎない存在である。大海を知らないことに変わりはないと言っている。
 

2008年5月11日日曜日

太郎の読書

 父、太郎に、このところ読んだ本で、印象に残った本を聞いた見ました。父が最近に読んだというだけで、最近発売されたという本でもないようです。

 バベルの謎 ヤハウィストの冒険 長谷川三千代
 妊娠小説 斎藤美奈子
 「社会調査」のウソ 科学的な社会調査の方法 谷岡一郎
 人体 失敗の進化史 遠藤秀紀
 不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか 高橋克徳

 父曰く、最近は、小説よりも、この手の本のほうが面白いという。どの本も、人生を豊かにしてくれる要素を持っている。
 そしれ、これらの書を俯瞰的に、総合的に、オーバーラップして眺めると、人間の本来もている悪いところ、人体だけではなく、組織も失敗の連続で進化してゆくのだろうし、小説もなにもかも、状況的に変化してゆくところがあるけれど、生き物であっても、組織であっても、小説であっても、本質的に、強く存在のために獲得する機能というものが優れたものが残ってゆくのだということを強く意識させられるという。

 

2008年5月10日土曜日

「おかめ」と「ひょっとこ」と卑弥呼

 「おかめ」と「ひょっとこ」という女と男がある。父、太郎曰く、この二人は神様だよなあ。何で?と尋ねた。
 「ひょっとこ」は、「火男」がなまったものであろうという説があるという。「火男」は、火をおこす、つまり、蹈鞴、製鉄などにも関係するらしいが、むかし、火を扱うというのは、特殊だったらしく、王の名に見られるのだという。有名なところでは、海幸彦と山幸彦はそれぞれ、火照命、火遠理命、物部氏の祖は、天火明命、神武天皇は、火火出見命と、とにかく、「火」のつく名前が多く、これらみな、「火男」であるという。
 そんなら、「おかめ」は、「亀?」なんて聞いてみた。
 そしたら、動物の亀ではなく、瓶をおみする甕のほうだろうなあ、という。「甕」は、みかとも読むし、甕は泥を焼いてつくるだろう? 焼いて作るのだから、火男とも通じるよね。焼くと匂うだろう、だから香りにも通じる。おかめは、御香女、香具夜姫もそうだけど、いかがしこめ(伊香色謎)は、い・香の女だし、山下影姫は、山下の香の女、姪忍鹿姫は、姪忍の香の姫だし、古代の王妃の名前に、香女はたくさんいるんだ。
 まあ、そんなわけで、父、太郎の頭の中では、「おかめ」と「ひょっとこ」は、「お香女」と「火男」なんだそうです。
 そうそう、魏志倭人伝の卑弥呼と卑弥弓呼は、ともに、火見だろ。火をおこすといえば、蹈鞴、それで、蹈鞴の女といえば、神武天皇の王妃となった、富登多多良伊須須岐姫なんか、その名前も火にちなむ名前で、卑弥呼にぴったりの名前だ。
 え! それじゃあ、その蹈鞴なんとかが、卑弥呼なの?
 日本書紀には、倭跡跡日百襲姫なんていう名前の姫がいて、卑弥呼候補の姫だけど、「日」は「火」で、やはり、「火」でしょう。倭の火の全ての祖の姫という名前だし、卑弥呼でしょう。
 本当でしょうか?

2008年5月6日火曜日

死に急ぐ人々への嘆き

 父、太郎は、人の数が多すぎるという。つい百年前には、地球全体でも、1億人だったのが、やがてすぐに100億人にもなるという。地球が養える限界の人口に到達してしまうのだという。日本でも、毎年100万人の人が生まれ、100年間生きて、100万人の人が死ぬという。
 父、太郎はさらに続けていう。昔は、母なる大地が人を育てた。やがて家庭が育て、そして国家が育てるようになった。今は、育てる人がいなくなったと嘆く。育てるのは強いものが育てるのだという。大地が強かった時代、父が強かった時代、国が強かった時代が、かつてはあった。けれど、今は混迷しているという。
 父、太郎は続けていう。その昔は、神の社会だった。やがて、極一部の特権階級の社会になる。そして大衆の社会になる。大衆化した社会は、平均化し、画一化し、統制され、固定化する。固定化した社会のほうが、安定するから、多数向けの社会なのだ。多数向けだから、固定化するのかもしれないともいう。とにかく、固定化は、先が見えてしまう。先が見えてしまうことほど、面白くないことはないともいう。
 父、太郎は、さらにさらに続けていう。でも、100年が目安であるという。過去のどんな国家も100年が一つの区切りで、まったく同じ体制では持たない。固定化の弊害が生まれるからだ。体制が持たないとき、古い時代には、王が取って代わった。他民族の支配におかれることもあった。王制から民主制へと国家の支配体制が変わった時代もあった。父は、今後、民意反映の仕組みを変えなければならない時代が来るだろうという。
 父、太郎は、死に急ぐ人を嘆く。これからの100年は、血を流す革命ではなく、静かなる革命の時代になるという。そんな面白い時代に、生きていないでどうするんだと嘆く。今を面白く感じない人のほうが、変革について期待できる可能性を秘めているかもしれないのに、と嘆いている。

2008年5月5日月曜日

消えたペットボトル

 先日、祖母がスーパー買い物をしてきた後、お茶をしているときに、ぶつくさと文句を言った。
 スーパーで買い物をしたのだが、店員が、買ったはずのペットボトルを入れ忘れているのだという。
 祖母は、新型マーチで近くのスーパーに買い物に出かけ、いくつかの買い物をして帰ってきた。途中、どこか別のところによったことはなかった。買い物は、ペットボトル以外にも食料品などが中心で、ポリ袋に一杯、買った。
 祖母が行ったスーパーには、美樹も、父と買い物に行くことが何回もある。けれども、これまで一度も、そんなことはなかった。商品は、店員さんが、バーコードで値段を読み取りながら、ポリ袋に入れてゆくので、入れなかったなんて事はまず起きないのだ。
 この話を聞いた父は、どこかに消えたと思ったら、「これでしょ」といって、ペットボトルを見つけ出してきていた。
 「どこにあったの?」と聞いたら、「車の助手席の下」と、ぼそっと言った。
 父、太郎は、探し物の名人である。

2008年5月4日日曜日

一つの方向性と方向転換における自由度の増加

 ある一つの能力を秀でるには、他のことを犠牲にしなければならないというのが、父、太郎の持論である。
 たとえば、アメーバは全方向に動けるが、その移動速度は遅い。生物は、360度の全方向に動くということよりも一定の方向のみであっても速く動けることを選択した。そのほうが、速く動けるのだから、優位に立つ。しかも、方向を変えるということと併用すれば、全方向に早く移動するということを獲得したことになる。けれど、一定方向のみに速く移動するという能力を確保したということは、それ以外の方向に移動する速度を捨てたということを意味する。けれども、方向を変えるという別の手段と併用することで、いったん捨てた能力を取り戻したともいうことも出来る。このことは、一定時間という区切りの中で、移動速度内のどこかの位置であれば、そこに存在することが出来ることを意味する。その範囲が広くなればなるほど、自由度が増したと考えることが出来る。すなわち、自由度が増した分、仮想的な空間的な存在量が増えたと言い換えることが出来る。
 人間も人生において、幾つもの選択を行い、一つの人生を選択する。いわゆる専門分野を持つ。けれども、その分野において秀でた能力を獲得するということと共に、その能力を別の分野に応用するという方向を変える能力をもつことで、人生という広い空間の自由度を増すことが出来る。専門に秀でるということは、その分野に詳しいということであるが、その分野の本質を理解するということである。この本質を理解するということの能力さえ身に付ければ、方向性を変えるということは、専門でない分野においても、本質的を理解できる能力を得たことになり、その分野の情報さえ与えられれば、思考することが出来るということになる。
 これは、父が、常々言っていることである。

2008年5月3日土曜日

攻撃スタイル

 山荘のももは、父、太郎と、ときとして戦う。
 まあ、小さいながら、善戦していると思う。
 父は、ときどき、ももに、ちょっかいを出すのだ。まあ、ようは、暇なのだ。ももも、よく戦うのだが、不利な条件での戦いになる。
 まず、体力差がある。50kgも体重に差があるし、身長も、150cmくらいの差だから、圧倒的に不利だ。それにリーチの差も30cmくらいは劣る。
 次に、頭にも差がある。父は、タオルを使ったり、噛まれても痛くないように、厚手の靴下や着物をきることで防御しているが、ももは、猫であるから、基本的に裸で、無防備である。
 そこで、ももも、頭を使う。まず、自分しか入れないような、ベッドの下とか、カーテンの陰とかに隠れ、そこから、攻撃を仕掛けるのだ。しかも、居場所を変えながらの攻撃である。
 それから、得意な技は、ももが隠れてしまったので、攻撃できない父が、ももから遠ざかる、その逃げる相手に、後ろから噛み付くという攻撃である。
 正攻法では、不利なももならではの姑息な攻撃ではあるが、いたし方あるまい。
 というわけで、二人の戦いは、勝負がつくことはなく、、雨の日などは、二人、いや一人と一匹の攻防が続くのである。